防衛とは何か
これまで投影やトラウマについて書いた際に、「防衛機制」という言葉を説明しないままに使ってきました。今回は自我の防衛機制について書こうと思います。個人的に、防衛という概念は自分や他人、世の中の動きなどを考える際の一つの視点を提供してくれるという意味で、とても興味深いと思います。始めのうちは少し専門用語も出てきますが、基本的にはコラムのような軽い読み物にしたいと思いつつ(どこまで成功するかは未知数ですが)書いていきます。
防衛機制は精神分析における重要な概念で、自我を守ための心理的な対処方法を指します。自我は、自分の欲求と、良心や社会規範との仲介をする役目をするのですが、その両者は往々にして互いに矛盾し合います(例えば他人の持ち物を奪いたいという欲求とそれを犯罪とする社会規範など)。そのため自我は常に不安定で崩れやすく、その存在を脅かされています。そんな自我が自分を安定を守るための方法を考え出します。それが防衛です。フロイトは、防衛機制は精神分析理論の基本概念だと繰り返し述べており、「伝統的な精神分析の主要原則は、すべての精神的問題は不安に対する防衛の結果であるということだ」と言われるほど、防衛は精神分析の根本概念です。従って、防衛は多くの心理学者が研究してきたテーマであり、論者によって防衛の種類も違いますし、その分類方法も一様ではありません。ここでは、ナンシー・マクウィリアムズの書著に従います。
防衛機制のことを英語でdefense mechanismと言います。defenseは、「防衛、防御」を意味する軍事用語です。「防御」というとあまり好ましくない響きがありますし、英語で「あの人はdefensiveだ」と言うとき、それはその人に対して批判的な響きを持ちます。この現象を初めて概念化したフロイトが「防衛」という呼称を使ったから現在も防衛機制と呼ばれていますが、そもそも、なぜフロイトは「防衛」という言葉を選んだのでしょうか。マクウィリアムズによると、それには二つ理由があります。一つ目の理由は、フロイトがしばしば心理現象を戦争に例えることを好んだことです。当時、精神分析はまだ人々に受け入れられておらず、懐疑的な人々にわかりやすく説明するのには、心理現象を戦いに例えることが効果的だとフロイトは考えたようです。二つ目の理由は、フロイトが防衛に関心を持つきっかけになったヒステリー患者は、防衛機制によって患者自らがより機能不全に陥っている状態でした。そこで、医者の役割は防衛の影響力をなくすことだという文脈で語られたことです。「防衛」という呼び方によって、そのプロセスは不適応を意味するかのように一般に解釈される傾向がありますが、精神分析的には、防衛が機能していることは必ずしも異常なことではなく、健康な人も誰もが使っており、問題になるのは、防衛を過剰に使ったり、柔軟性にかけた防衛の使い方をした時だと考えます。さらに、防衛が不十分な場合、すなわち自我が十分に守られない場合に精神病を発症すると考えます。
防衛の目的と特徴
ある人が防衛を使っている時、一般的に、その人は無意識に次の二つの目的のうち一つ、もしくは両方を達成しようとしています。一つは、とても強い、脅かすような感情を避けることです。一番よくあるのは不安ですが、悲しみ、恥、嫉妬なども防衛の対象になりえます。二つ目は、自尊心を保つことです。
誰にでも困難な状況に対応するために優先的かつ自動的に使う防衛があると考えられます。どの防衛を好むようになるかは、少なくとも以下の4つの点に影響を受けています。1)先天的な気質、2)幼児期に経験したストレスの種類、3)親や身近な大人が使っていた防衛(子どものモデルとなる)、4)防衛の結果の経験。
そして、防衛についての7つの特徴は以下になります。
1)無意識のうちに機能している
2)子どもの発達に伴い、ある一定の順番で発達する
3)通常の健康な人も使う
4)ストレスがかかる状況下でより使われる
5)否定的感情の意識的な経験を減らす
6)自律神経系により作用する
7)過剰に使用される防衛は精神病と関連する
防衛の分類
このような特徴のある防衛ですが、その種類や数については論者により様々です。分類の仕方も統一されていませんが、マクウィリアムズは大きく二つに分類しています。一つは、「第一の、未熟な、初期の」防衛で、自己と外界の境界線に関連するものです。もうひとつは、「第二の、より成熟した、進歩した、高度な」防衛で、自己内の境界線に関連します。自己内の境界線とは、例えば、自我や超自我(良心)とイド(欲求)や、観察する自己と経験する自己、などです。以下では前者を未熟な防衛、後者を成熟した防衛と表現することにします。実際には、未熟な防衛と成熟した防衛の分類は恣意的な面があります。
つまり、人は生まれた時には自分と外界の区別がついていないと考えるので、その区別がついていない乳幼児期の世界観に根差した防衛を未熟な防衛、その後、自己と外界の区別がつくようになり言語を獲得していく段階の幼児期以降の世界観に根差した防衛を成熟した防衛と呼んでいるのです。
従って、未熟な防衛には二つの質的特徴がありますが、いずれも言語習得前の発達段階に関連しています。一つは、現実原則をまだ獲得していないこと(空想の世界で自分の欲求を満たすことが優先している)、そしてもう一つは、外界の物ごとと自分とが分離されていること、また物ごとの永続性を理解していないことです。
未熟な防衛に含まれるのは以下になります。
・逃避 (withdrawal)
・否認 (denial)
・万能感による支配 (omnipotent control)
・原始的理想化 (primitive idealization)
・脱価値化 (devaluation)
・投影同一視 (projective identification)
・取り込み同一視 (introjective identification)
・分裂 (splitting)
・身体化 (somatization)
・行動化 (acting out)
他方で、成熟した防衛に含まれものは以下を含みます。
抑圧 (repression)
退行 (regression)
合理化 (rationalization)
知性化 (intellectualization)
反動形成 (reaction formation)
昇華 (sublimation)
ユーモア (humor)
例えば、否認は、不快な事がらを「起こっていない」ことにする、即時的で内省が伴わない防衛です。起きたことを起きていないことにする「魔法のような」対処方法ですが、これは現実原則を未獲得な幼児の世界観に根差しています。
否認に対して成熟した防衛に分類される抑圧は、抑圧の対象をある意味で認識した上で「これは起きたことではあるけれど、辛すぎるので忘れることにしよう」という防衛です。
同様に、分裂は未熟な防衛で、ある経験に「全て善」か「全て悪」の両極のどちらかの性質のみを与え、グレーゾーンが存在しない防衛です。全ての事象を「全て善」か「全て悪」の両極端にしか認識できないのも、精神分析的には幼い子どもの世界観に根差したものだと考えられます。
分裂に対して成熟した防衛に分類される合理化は、言語や思考を駆使することで、より現実に則した方法で自分の気持ちを正当化します。
実は、大人になっても誰もが未熟な防衛を使うことがあります。しかし、大抵はそれはある一定の限度内であり、より成熟した心理的スキルによって補われます。ですので、病理的であると判断されるのは、未熟な防衛が作用することではなく、成熟した防衛の欠落だといえます。
引き続き、個別の防衛について、少しずつ書きたいと思います。
参考)
McWilliams, N. (2011). Psychoanalytic diagnosis: Understanding Personality Structure in the Clinical Process. (2nd. ed). New York: Guilford press.