防衛機制 ⑧ 極度の解離

解離 (dissociation) は、記憶・知覚・意識といった通常は連続してもつべき精神機能が途切れている状態です。自分の適応能力をはるかに超えた苦痛や経験から自我を守るために、その時の感情、思考、体験を自我から切り離すための防衛として作用する解離もあれば、日常的で問題のない解離もあります。いずれの場合も、通常であれば、感情、行動、経験、意図などが自分の体験として統合されるのですが、解離によってその統合が失われます。

日常生活で起こる解離としては、テレビに夢中になって周囲のことに反応しない、空想にのめり込みそれが現実に起きているように感じる、飲み過ぎた夜の出来事を翌日になると全く思い出せない、などがその例です。このような解離は誰もが程度の差はあれ日常生活で経験することで、特に問題だと感じることはありません。

一方で、トラウマ的体験、つまり戦争や大災害、大手術など生命が危険に晒されるような強烈な体験の際に、時に人は解離という防衛で自我を守ることはよく知られています。トラウマ的体験の際に、自分の身体から離脱したような感覚はしばしば報告されます(体外離脱体験と呼ばれます)。また、「その時は頭が真っ白になって、今振り返っても何も思い出せない」という報告もよくあります。

このように、衝撃的なことがあった際に一時的に気を失ったり、体外離脱体験、記憶喪失といった解離によって自分の心を守ろうとするのは、状況としては日常的ではありませんが、正常な防衛であり障害ではないと考えられます。

解離が問題になるのは、防衛としての解離が頻繁に長期的に起こる場合です。例えば日常的に虐待される幼い子どもにとって、解離は唯一の逃避手段とも言えます。長期的に繰り返し解離状態になることで言わば習慣になり、解離に過度に依存した状態になります。そして、苦痛を受け入れる別の自我が形成され、その間の記憶や意識をその別の自我が引き受けて、元来の自我には引き継がれず、それぞれの自我が独立した記憶を持つようになると考えられています。DSMで一定の診断条件を満たすと解離性同一性障害 (Dissociative identity disorder)と呼ばれます(かつては多重人格障害呼ばれた神経症)。

防衛のために解離を頻繁に使う人は、以前に考えられていたよりもずっと多いことがわかってきており、研究も盛んになっています。これは、児童虐待が悪化したせいなのかのしれませんし、解離に対する社会認知度が上がったので「もしかして自分も?」と思って受診する人が増えたせいなのかもしれません。

解離の明らかな利点は、苦痛や衝撃の意識的経験を回避できることです。誰でも、耐えられない程の苦痛を受ける体内に留まるよりは体外に逃避したいと願うでしょう。しかし、解離の程度が重くなると、それは大きな代償を伴うようになります。なぜなら、ストレスを感じると健忘状態になったり性格が大きく変わったりするので、周囲の人は混乱し、その人のことを「気分屋」「情緒不安定」「嘘つき」などと考えるようになる可能性があり、また説明をしても理解を得ることが困難な場合が多いからです。

参考)
McWilliams, N. (2011). Psychoanalytic diagnosis: Understanding Personality Structure in the Clinical Process. (2nd. ed). New York: Guilford press.