ゲシュタルト療法で機能不全の境界線のパターンは4つありますが、今回は「反転(retroflection)を取り上げます。反転は、「鋭く元へ跳ね返ってくる」ことを意味しています。
反転の傾向を持つ人は、自分と外界を分ける境界を自分の中に引きます。そして、境界の「こちら側の自己」が「あちら側の自己」を他者と見立て、他者に対してしたいことを自分自身に対してします。つまり、境界を自己の内側に引いているため、自分のパーソナリティが「する」立場と「される」立場に二分割され、本来他者または対象物に対してしたいことを、境界の向こう側の「自己」に対してするわけです。もしくは、他者に感じている感情を自分に向ける場合もあります。
反転の傾向の強い人は、自己の欲求を満たすために外界に働きかけることをしません。また、エネルギーを外に向けて外界に働きかけることに使わず、むしろ自己の内に向けます。つまり、目標になるものが外界にあったとしても、外界に目を向けることをせずに、絶えず(境界線の向こう側の)自己に目を向け続けます。
「鵜呑み」の場合、「私」が実質的に意味するのは「彼ら」であり、「投影」の場合は「彼ら」が意味するのは「私」でした。「融合」の場合は、「私」を指すのか「彼ら」を指すのか曖昧なまま「私たち」という代名詞が使われました。「反転」の場合、「私自身(myself)」という再起代名詞が使われるのが特徴です。
例えば、「私は自分自身が許せない」「自分自身に鞭を打つように努力すべきだ」「私は私自身をコントロールすべきだ」などが反転の可能性があると考えられます。自分をひどく裏切った友人を責める代わりに、「友人を恨むなんて、私はなんてひどい人間なのだ」と、友人に対する怒りを友人に向けずに自分に向けるのも一つの例です。極端になると、自虐的行動や自傷行為におよぶ可能性もあります。
「反転」は「鵜呑み」が基にあって起きることが多いと考えられます。例えば「親は敬うべきだ」と堅く信じている人が、親への怒りや恨みの感情を持つ自分を受け入れられず、親にその感情をぶつけずに自分に対して腹をたてる、というのがその一つの例です。
反転する人は、自分の中に沸いた感情を表出しないことで自分を傷つけ、その感情を自分に向けることで一層傷つきます。よって、反転は大変不健康な状態だと考えられます。
参考)
1) Perls, F. (1973). The gestalt approach & eye witness to therapy. Science and Behavior Books. (日高正宏、他訳『ゲシュタルト療法ーその理論と実際』ナカニシヤ出版)
2) 岡田法悦 (2012) 「実践 ”受容的な” ゲシュタルト・セラピー」ナカニシヤ出版