ゲシュタルト療法

投影(境界線の問題②)

ゲシュタルト療法で機能不全な境界線のパターンの2つ目は「投影 (projection)」です。投影については以前に何回かに分けて投稿しています。前回の投稿で書いた鵜呑みとの対比で言うと、鵜呑みは外界に属する事がらを自己に取り入れてしまうことですが、投影は、もとは自己に端を発しているものを外界のせいにしてしまう傾向のことです。

自己と世界の間の境界線の引き方で言えば、鵜呑みの場合は、境界線が自己の内側に侵入している一方、投影の場合には、境界線は外界の方に侵入しています。よって、投影の傾向が強い人が「彼らは〜」と言う時、実は「私は〜」を意味することになります。

また、鵜呑みの傾向が強い人は、自己の内面に取り込んだ無数の「鵜呑みした未消化の異物」が葛藤する結果、自己の内側が戦場のようになりますが、投影の傾向の強い人の場合は、世界が個人的な葛藤を戦わす場になります。例えば、自分が相手を嫌う気持ちを投影し、相手が自分を嫌うのだと感じた場合に、それは明らかでしょう。

鵜呑みと投影が関係する場合もあります。上記の例で言えば、「人を嫌ってはいけない」という鵜呑みの結果、「あの人が嫌いだ」と感じる自分の気持ちを受け入れることができず、その気持ちが他者に投影するといった具合です。

投影が神経症的な傾向を帯びる場合、投影している人は、それが自分の推定や想像に過ぎないことを理解できず、例えば上の例では、相手が本当に自分のことを嫌っているのだと信じます。健康な場合、相手について一定の根拠に基づき想像することがありますが、これは投影というよりも推定であり、単なる想像に過ぎないことを本人が自覚しています。

実際は、神経症的な投影から健康度の高い推定までがグラデーションのように濃淡をなしており、状況や体調などの条件に応じて、その幅の中をある程度行ったり来たりしながら日々を過ごしている人が多いと思います。例えば、特に明白な理由はないけれど「あの人は自分を良く思っていないようだ」と感じたことのある人は多いのではないでしょうか。もしかすると、今、これを読みながら、そんな人が思い浮かぶかもしれません。投影という視点からは、実は、その否定的な感情を持っているのは、その相手ではなく自分だということになります。

参考)
1) Perls, F. (1973). The gestalt approach & eye witness to therapy. Science and Behavior Books. (日高正宏、他訳『ゲシュタルト療法ーその理論と実際』ナカニシヤ出版)
2) 岡田法悦 (2012) 「実践 ”受容的な” ゲシュタルト・セラピー」ナカニシヤ出版