クリスマスカードと多様性

この時期になると、海外の友人にクリスマス・カードを送ります。「季節の挨拶カード」と呼んだ方が正確ですが、日本ではまだ「クリスマスカード」と言った方が通じやすいように思います。

当たり前のことですが、クリスマスはキリスト教の行事、つまりキリスト教徒のお祝いです。かつて日本では「外国人といえばキリスト教徒」と考える傾向があったのか、欧米では誰もがクリスマスを祝うという誤解が長らくあったように思います。実際は、皆さんもご存知のように欧米にも様々な宗教の人がいて、クリスマスを祝わない人々もいます。私のユダヤ人の友人は、街中がクリスマスのデコレーションに溢れるこの季節には、心の底に恐怖心が渦巻くと話してくれました。ユダヤ民族の歴史を思えば当然とも思える気持ちですが、それまでは、そういった想いを抱く人がいる可能性を想像できませんでした。

季節の挨拶のカードを海外の友人に送る際、家族全員が同じ姓の場合もあれば、夫婦別姓の場合もあり、宛名の書き方やバランスに気を配ります。対して、日本で年賀状に文面を印刷する場合、注文用紙には「一つの姓の下に家族の名前を連ねる」パターン、一つのみです。今回、海外への宛名書きをしていて感じたのは、どの家族も同一パターンの方が、作業効率は良いということです。家族ごとに姓が一つなら、二つの場合に比べて文字数も少なくてすみますし。他方で、夫婦別姓の家族に宛名を書きながら感じたのは、姓に表れる夫婦それぞれのルーツです。例えば、スペイン系のルーツだったり、中国系のルーツだったり。結婚したからといって、おいそれと改姓しないのも最もなように思いました。日本人同士の結婚で改姓する場合には感じられにくいのかもしれませんが、姓はその人のルーツと関連があると考えれば、同様のことが言えるかもしれません。

つい最近、雪の多い国に住む友人と話していると、なんでも彼は「雪の積もっていないクリスマスは、偽物のクリスマスように感じる」とのこと。確かに、私もこれまで(記憶にある限りでは)一度だけ雪の降るクリスマスが幼少時にあり、その時に「今日は本物のクリスマスだ!」と思った記憶があります。そんな話をしていると、「日本でも北海道など雪国の人は、雪のないクリスマスは偽物っぽいって思っているかもよ」と指摘されました。雪国出身の人とクリスマスについて話す機会がこれまでありませんでしたが、日本人間でもクリスマスに対する感じ方は多様なのかもしれません。ちなみに、「クリスマス=雪」というのは、サンタクロースがトナカイに引かれたソリに乗ってくる限り世界的イメージなのかもしれませんが、もしかしたらオーストラリアなど南半球では違うものに乗ってくるのでしょうか。

カードの文面に配慮したり(メリー・クリスマス!ではなく「季節のご挨拶」)、それぞれのルーツを示す別姓の宛名を書いたりと、確かに多様性を意識すると作業効率は落ちる一面がありますが、同時に相手をそれだけよく理解する契機にもなると実感しました。また、クリスマスでも雪があるかないかで印象が違ったりと、「クリスマス現象」が世界的なだけに、逆に多様性を意識する機会になりました。