ゲシュタルト療法

「鵜呑み」と生きづらさ

先の投稿で、ゲシュタルト療法の「鵜呑み (introjection)」について説明しました。その際にも書きましたが、誰もが、価値観、考え方、倫理観等々を「鵜呑み」しながら成長し、社会化された人間になります。「鵜呑み」してきた内容物を一つ一つ吟味することは現実的ではありませんし、それが日常生活に支障をきたす原因になっていなければ、そのままでもいいと考えられます。しかし、鵜呑みの結果、無意識のうちに、自分の人生を生きていないことになる危険をパールズは指摘しています。

「人生における一番重要な仕事の一つは、親の夢を生きてきた自分から、自分の夢を生きる自分へと成長することである」と言われます。子どもは、親の言動から敏感に自分への期待を察知してそれに沿おうと努力します。親自身は気づいていない非言語コニュニケーション(表情や応答前の一瞬の間など)さえも、子どもに影響を与える可能性があります。そのようにして親(や学校や社会)の期待に沿うように子どもは精一杯努力します。それが子どもの生存戦略だからです。そのようにして形成されたパーソナリティを、成長の過程で自分なりに更新していけると理想的なのですが、それは必ずしも簡単なことではありません。そもそも、自分は親の夢を生きているのか、自分の夢を生きているのか、なかなか判別が難しいかもしれません。ましてや、親の夢を生きている人と、自分の夢を生きている人は、見分けがつくのでしょうか。

著名な心理学者であるユングのクライエントの3人に1人は、一般的尺度で言えば社会的に大変成功した人たちだったと言われます。つまり、社会適応に問題があるのではなく、うまく適応しすぎた人たちだったと考えられます。彼らは「鵜呑み」の結果、他者(社会)の価値基準では成功者と評される人生を歩んできたのですが、年齢がある程度いった時点で、自分が誰の人生を生きてきたのかという疑問が頭をもたげてユングのカウンセリングを受けに来たと考えられます。

「他人に親切」「文武両道」「いつも真剣に取り組む」「迷惑をかけない」「集団の中ではリーダー役を果たす」等々の鵜呑みに上手に対処していくことは、ある意味では素晴らしいことかもしれません。しかし仮に、そのような鵜呑みに100%対応できている人がいたとしたら、「すごいけど、なんだか退屈な人」という印象を持つかもしれません。「あなた」はどこにいるのかという違和感です。

心理学者の河合隼雄が、個性について論じている文章を読んだことがあります。私の記憶では、「自動販売機に100円いれたら缶ジュースが出てくる。だから100円いれるのだ、というのは個性でもなんでもないが、この機械には100円入れると何が出てくるのかわからないし、場合によっては何にも出てこないかもしれないけれども、それでも機械に100円入れて何が出るのか試すのが面白いから100円を入れるのだ、というのが個性だ」というような内容でした。自分らしさ、個性というのは、往々にして「べき」「べきでない」といった社会通念とは相反するものなのかもしれません。

皆さんは、誰の夢を生きていますか。