箱庭療法は、砂を敷き詰めた箱の中に思い思いのオブジェクトを配置しながら無意識を表現していく一つのアプローチです。英語ではSandplay therapyと呼ばれ、直訳すると「砂遊び療法」になります。私の感覚では、砂遊びに近いです。もしくは、砂の上に絵を描く感覚です。
箱庭療法では、クライアントは多様なオブジェクトの中から好きなものを好きなだけ選択して砂の上に配置していきます。クライアントが「これでよい」と感じたら、そこまでにして、「作品」として題名をつけてたり、配置について説明したり、感じた気持ちについて話すなどして、作品についての理解を深めていきます。セラピストによっては、クライアントがオブジェクトを配置する順番まで詳細に記録する人もいますし、毎回写真を撮り、ある程度たまった段階で、それをストーリーのようにして再度解釈する人もいます。一つの作品の解釈の仕方も様々です。
私は子どもとの遊戯療法(英語ではPlay therapyなので「遊びセラピー」)の中で箱庭を使いました。子どもによって、箱のスペースの使い方もオブジェクトの使い方も本当にさまざまです。きれいに人形を並べた後に、必ず全部倒してぐしゃぐしゃにする子どももいました。表現されるのを待っていたと言わんばかりに子どもの無意識が砂の上に展開されていくのを目の当たりにし、私は圧倒されるのと同時に、無意識の力に畏怖を感じました。その空間は、通常の空間とは違う次元に存在するようでした。でもその「異空間」での出来事はきちんと日常空間とつながっていて、わざわざ担任教諭が「あの子どもは最近とてものびのびと明るくなったよ。ありがとう」と報告してくれるくらい子どものためになっていることも、とても嬉しいことでした。
個人的に参加した箱庭療法のトレーニングでは、まず一番始めに、参加者が一人ずつ、箱の中の砂を思い思いにかき混ぜます。誰もが黙って、それぞれのスタイルで砂を混ぜます。他の参加者は輪になって黙って見守ります。それは、厳かな儀式のようでした。思い思いのやり方で黙々と砂をかき混ぜる参加者を見ながら、本当に人はそれぞれだ、誰もがアーティストだと感じたことを覚えています。
通常の生活では、職場では職場に適した役割演技を、家庭では家庭での役割演技を、というように、誰もが「演じている」わけですが、セラピーはその役から降りて生身でいることが歓迎されるスペースです。それは、自我を緩めるということでもあります。セピラーでは自我をリラックさせ、よい具合に緩めることが一つの目的です。身体もコチコチに凝っていると整体に行っても正しい位置に直しにくいですよね。心も似ていて、ごちごちに自我が武装していると、ホメオスタシスの働きが作用しにくいのです。
箱庭療法のエッセンスを日々の生活に取り入れる工夫として、大きめの深皿や箱に砂を入れ、そこにオブジェクトを配置する方法があります。そして気に入ったオブジェクトを気の向くままに並べてみて、それを眺める。これは療法ではないけれど、瞑想の機会になると思います。療法には、やはり「見られる」ことが必要不可欠になります。