気候と性格

その土地の気候とそこに住む人々の性格の傾向には関係があると思います。だいぶ前に読んだ本なので題名も定かでないのですが、梅棹忠夫は、文明比較論の文脈で、英国と日本では「生き延びるのがギリギリ可能な程度の厳しい気候」が共通しており、それが両国民の勤勉さを説明する一つの要因だと述べていたと思います。

米国留学中に住んでいたバークレーは、温暖で一年中気候が安定しています。朝夕は冷えますが、布団から出るのが億劫になるほど冷えることはまずありません。日中は暑くなることもありますが、日陰は涼しく、生命の危機を感じるほどではありません。ベットの中から外への移動も「バリアフリー」、室内から屋外へも常に「バリアフリー」、着るものも一年中ほとんど同じで、身軽でした。結果として、一年を通して自分のエネルギーを全て自分のやりたいことに注げる感覚がありました。日本にいると(少なくとも私の住んでいる東京では)、夏は外出するのにパワーが必要ですし、冬は朝起きるのにパワーが必要で、外出する際には色々と着込む必要があり、そのあたりの調整に結構エネルギーを消耗する感じがします。爽やかな気候の中で生活していると実際とても快適ですし、バークレーにいた時は、周囲を見渡しても快活な人が多い気がしました。

西ヨーロッパに住んでいた時には、長い冬、それも極端に日照時間の短くなる冬が記憶に残っています。西ヨーロッパでは冬の終盤になるとメンタルに不調をきたす人が多くなると聞いて納得したのを覚えています。そして、春が「急に」始まるのも印象的でした。ビバルディの「春」は、日本の春を歌う「春の小川」のようなほのぼのとした感じとは異なり、勢いが溢れるような曲ですが、実際、そんな感じがしました。初老の男性が「春が来ると僕はウサギになったようにピョンピョンを跳ねたくなる衝動にかられる」と話してたのが印象的です。季節に対する感覚もその土地ならではだと感じました。

常夏の国タイに住んでいる時に、同僚にお子さんの誕生日を聞いたら「いつだったっけ?」と言われて驚いたことがあります。自分の子どもの誕生日を覚えていないんだ、と。でもタイで過ごす時間が長くなるうちに、私自身も次第に四季の感覚がなくなっていき(四季がないので)、一年はぐるっとまわってくるというより、どこまでも直線で進んでいくように感じるようになりました。そして、誕生日をあまり意識しないで過ごしている同僚のこともある程度は理解できるように思いました。「マイペンライ(大丈夫)」と口癖のように言う大らかなタイ人の性格は、そんなことも影響しているのかもしれません。全ては時間と共に後ろに流れて行くのだから、と。

「日本の四季は美しい」「こんなに四季の移ろいがはっきりしている国はない」などと日本の気候を称賛する声を聞きますが、日本に生まれ育っているとそれが当たり前のようで、私はあまりピンときません。むしろ、確かに美しいけれど、それなりに大変だよ、と思います(寒いし暑いし。公園で読書できる時期など一年を通じてかなり限られているし、等)。でも、お天気に文句を言うのは自分の気分によくないので、「お天気には文句を言わない」というマイルールを設定しています。

今日は、車で30分ほどのところにある公園で読書とうたた寝をしてきました。写真は横になりながら上を眺めた時の木々が美しかったのでスマホで撮影したものです。なかなか美しさを写真で捉えるのは難しいのですが、本当に気持ちの良い午前中で、気づけば日本の四季を満喫していました。