少し前に読了した本を紹介しようと思います。著者は薬物依存を専門とする精神科医で、副題は「クスリとヒトの現代論」です。
「なぜアルコールはよくて覚せい剤がだめなのか」
この著書に通底しているのは、薬物患者から著者へに向けられたこの問いかけです。著者は答えに窮してしまいます。なぜなら、覚せい剤を使ったからといって誰もが幻覚や妄想を経験するわけではなく、脳や内臓へのダメージは、覚せい剤よりアルコールの依存症の方が上、という事実があるからです。
著者は、薬物依存患者の経験を傾聴するようになり、医学の常識との葛藤を経ながら自分なりの答えを求めて模索します。その過程で、中学時代の友人との別れや研修医時代の違和感を思い出したり、同業者からの反発を受けたりと、個人的な葛藤と社会的な摩擦に向き合うことになります。また、薬物依存患者の回復のための施設ダルクの人々との温かで独特な交流の様子やそこからの学びも語られます。
冒頭の問いへの答えとして、著者は、この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「良い使い方」と「悪い使い方」だけである、言います。そして、悪い使い方をしている「困った人たち」は、実は「困っている人たち」であるのだと訴えます。どういうことかというと、著者によれば薬物依存症の本質は「快感」ではなく「苦痛」であり、その苦痛とは幼少期の生育環境や虐待などのトラウマと深く関連しているのです。例えば、夜の闇の中にフラッシュバックしてくるトラウマ体験(暴力やレイプなど)を一時的に消してくれるがために薬物を手放せなくなるのです。
また、最古にして最悪の薬物はアルコールであるという考え方にも言及しています。傷害や殺人事件の4-6割、強姦事件の3-7割、DV事件の4-8割にアルコールによる酩酊が関与しているそうです。この数字には驚きましたが、確かに臨床でもアルコールを断つことで事態が大きく改善する場合があります。
例えそれが科学的事実に反するものであっても、世の中一般に受け入れられている考えをひっくり返すことは並大抵のことではありません。覚せい剤を使用している人に対して社会的制裁を加えることに躊躇しない一方で、アルコール飲料を嗜む。現在の常識、法制度の下では全く矛盾のない態度も、実は科学的事実からみると欺瞞に満ちていると言えますが、私たちの多くは疑問を持つことがありません。
医師である著者の個人的経験と感情を織り交ぜることで、読者の感情に訴える姿勢が印象に残ります。薬物依存を後押しするような精神科業界の裏話も興味深いものがあります。一般的な世間の理解に対立する主張をする際には、単に科学的根拠を並べて「あなたの認識は間違っている」と示すだけでは不十分で、読者の感情に訴える必要があるのかもしれません。かなり以前に、カナダの精神科医マテ博士の書いた本を読んだのですが、その本も、薬物依存の根本にはトラウマがあり、脳の機能不全があるのだ、という内容でしたが、薬物依存患者の個人史やポートレイト写真を掲載して語りかけるもので、読みながら大きく感情を揺さぶられたことを思い出しました(参考文献に挙げています)。
この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「良い使い方」と「悪い使い方」だけである、という考え方は、以前に紹介した「ヘロインからチョコレートまで」の著者と全く同じ主張です。「常識」という色眼鏡をかけず、まっさらな目で事実を眺めると、自然と同じ結論に行き着くのかもしれません。
一般的に、依存症の対象は大きく分けて、薬物、行為、人間関係とされます。その予防と回復には、「つながり」が大切だといわれます。著者は本の最後の方で「Addiction(依存症)」の反対語は「Connection(つながり)」だという内容のTEDトークを紹介しています。この投稿では、アニメーションの動画を紹介します。有名なネズミの実験やベトナム戦争の兵士の話がカバーされています。TEDトークには日本語の字幕がありますが、アニメーション動画は英語の字幕のみです。
私は米国で心理学を学んだので、薬物依存は非常に身近なものとして位置付けられていました。ある授業では、アルコホーリクス・アノニマス(AA)のミーティングに参加することが宿題でした。AAはアルコール依存症からの回復のための自主的なグループ活動です。住宅地の一角にあるごく一般的な住居が会場でした。建物の中が光に満ちていて、その空気がとても澄んでいたことを今でも鮮明に覚えています。
(参考)
松本俊彦 (2021). 誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論 みすず書房
A.ワイル他(1986). チョコレートからヘロインまで 第三書館
Mate, D. G. (2008). In the realm of hungry ghosts. North Atlantic Books.