家族を理解する際に、システム論では、家族メンバーの間のやりとりのパターンに注意を払いました。別の言い方をすると、「なぜ、そういうパターンが生じるのか」ついて推測することは敢えて避け、そこはブラックボックスとみなしていました。これに対して、家族メンバーの考え方が行動に影響を与え、さらに社会文化が家族メンバーの考え方に影響を与える、という視点が提出されます。これを社会構築主義(social constructionism)といいます。
脳の研究が進むにつれて、私たちは物事をありのままには見ていないことがわかってきました。脳は、カメラのように見たものをそのまま丸ごと処理するのではなく、パターン化して処理します。直接に知覚されるものはなく、全ては観察者の意識というフィルターを通ります。これは哲学者カントにまで遡ることができる考え方で、真実は相対的であるとされます。
この考えが家族療法に取り入れられ、臨床家は家族生活におけるメンバーの認識や解釈の重要性に注目するようになります。どのように家族メンバーが世界を捉えているのかを理解することは、言い換えると、家族メンバーがそれぞれどのような「色メガネ」をかけて世の中を見ているのかを知ることです。そして、セラピーでは、古い見方を変化させること(メガネのレンズを変えること)を目標とするようになります。
新しい見方を構築するテクニックの一つがリフレーミングと呼ばれるものです。これは、ある行為に対してそれまでと異なるラベルをつけることで、それに対する反応を変化させるものです。例えば、子どものある態度に「悪ふざけ」というラベルをつけるか、「元気いっぱい」とラベルをつけるかで、親の対応が変わってきます。重要なのは、どちらのラベルが真実であるかという点より(そもそも真実は相対的であるというのが構築主義の考えです)、どのラベルがより効果的に家族の対応を変化させるかという点です。
家族療法において、システム論から構築主義への変換が起きたのは1980年代です。冒頭で述べたように、この変化によって家族療法家の関心は、家族メンバー間の行為とコミュニケーションのパターンから、メンバーが問題に対してどのような認識を持っているか、どのように状況を解釈しているかという点へと移りました。
さらに、社会構築主義では、人々の解釈には、社会文化などの文脈と他者とのコニュニケーションが大きく影響していることを重要視します。例えば、思春期の反抗期真只中の子どもを例にとると、構築主義の立場をとる療法家は、それは親の態度だけでなく、子どもが親の権威を軽視している態度が原因だと考えます。社会構築主義の療法家であれば、さらに、そのような親の権威を軽視する若者の態度は、親の躾など家庭内のやりとりだけでなく、社会文化全体としての傾向が影響を与えていると考えます。
このように考えた時、セラピーでは、人々の認識や考えを脱構築(deconstruction)するプロセスになります。ソリューション・フォーカスト・セラピーやナラティブセラピーは、このような考え方に基づき、クライエントの世界の解釈の仕方を変えていくアプローチです。これらのアプローチについては、また別の機会に書くかもしれません。
さて、先に言及したリフレーミングですが、これは日常でも使える技法です。自分や他者に対する見方を変えることで、気持ちや行為が変化します。例えば「何もつづかない、根気がない」態度を「とわられのない」態度と捉え直したり、「片付けができない、だらしない」態度を「おおらかな」態度に捉え直したり、というように解釈を変えます。私自身は使ったことはありませんが、リフレーミングのカードやゲームなどの商品もあるようです。