心理学あれこれ

感情はなぜ重要か

心理カウンセリング(サイコセラピー)では、感情をとても大切に扱いますが、そもそも、感情とは何でしょうか。そして、どうして感情が重要なのでしょうか。今回の投稿では、感情が私たちの日常生活でどのような役割をしているのかについて説明し、感情がどうして重要なのかについて書いていこうと思います。「感情とは何か」については、稿を改めて(おそらく近々)書きたい思っています。

まず、感情にはどのようなものがあるかというと、実は、感情の分類方法は論者によって異なり、5つだったり7つだったり、より詳しく27に分類したりと様々です。一般的には「喜怒哀楽愛憎」の6つを挙げることが多いようです。他方で、中国では、「喜怒哀楽怨」の5つと考えるようですし、感情の研究で著名な米国の神経科学者ダマシオは、「喜び、悲しみ、恐怖、怒り、嫌悪」の5つを最も基本的な感情としています。また、感情の働きについて考える際に、個人レベルのものと集団(社会)レベルのものとが考えられますが、以下の説明では個人レベルでの感情の役割に限定しています。

まず第一に挙げられる感情の役割は、自分を守ることです。例えば、「恐怖」について考えてみると、恐怖を感じることで、人は逃げたり自分を庇ったり慎重に対応したりすることで、自分を守ることが必要だと判断します。例えば、以前に自分を殴った人と二人きりになる場合や、深い谷間にかかる吊り橋を渡る場合など、恐怖を感じるような具体的な例を挙げることは難しくないでしょう。そのような場面では、恐怖が「気をつけて」「慎重に」と合図を送っているのです。それでは、「怒り」はどうでしょうか。怒りは、多くの場合、自分の領域が侵犯されたという合図です。それは物理的な領域侵犯かもしれませんし、心理的なものかもしれません。ですから、怒りを感じる時には、その対象に対して「それ以上近づくな」「離れろ」と伝えるか、自分から距離をとる必要があります。

逆に言うと、恐怖や怒りが感じられないと、適切に自分を守ることが難しくなります。例えば、長期にわたる家庭内虐待を受けると、子どもは暴力と愛情を混同するようになり、暴力に対する怒りを感じることが難しくなると考えられます。また、ブラック企業での過酷な労働環境などの状況下では、情緒が混乱し、恐怖や怒りによって自分を守るための回避行動がとれないことが報告されています。これは「学習的無力感」と呼ばれることがありますし、感情の抑圧と考えることもできます。実際、親から虐待を受け成長した人が「親に対して怒りを全く感じない」ことは、珍しいことではありません。

一般的に恐怖や怒りは否定的な感情とされ、恐怖や怒りを感じることを否定的に考えることが少なくありません。例えば、恐怖を感じるのは自分が弱いからだ、怒りを感じるのは自分の器が小さいからだ、などというように。しかし、実際には恐怖も怒りも私たちを守ってくれる感情です。その感情を否定することなく、感情が送ってくる合図を尊重することは大切なことです。

また、感情は自分を導く働きもします。嬉しい、気分が軽くなる、などの感情は、自分にとって正しい方向に向かっていることを教えてくれます。特に、短期的で即物的な欲望 (desire) が満たされる際には、わくわくと高揚した気持ちを感じる一方で、より大極的な視点から求めるもの(aspiration, 志)が満たされている時には、静かな快い気持ちを感じると言われます。選択に迷っている時には、往々にして「考えること」に偏ってしまい、自分がどう「感じている」のか、感情に意識を向けることをしていないものです。もちろん、感情だけで即断することが正しいと言っているわけではなく、客観的条件に基づいて比較考慮することも大切です。しかし、感情を感じ、それを信頼することで、よりよい選択が可能になると考えられます。

実際、事故や病気による脳の損傷の結果、感情をなくした患者にとって、選択することが著しく困難になる事例が報告されています。例えば、次回の面会日を設定する際に、医師から二つの日時を選択肢として提示された時、その患者はその各々の日時についてのプラスとマイナスを延々と並べたて(先約がある、天気が悪そうだ、など)、30分近く経っても選択することができなかったそうです。ちなみに、この患者の知的能力は完全であって、いわば〈知っているが感じない〉状態であったとされます。

さらに、感情は思考に欠かせない役割を果たしています。デカルト以来、理性と感情を分けて考えることが常識のようになりましたが、最近の研究では、むしろ理性と感情はたえず相互に影響を与えて合っており、感情なしに理性的思考は成立しないという考え方が提出されています。例えば、裁判官の判断は、極めて理性的であると考えられますが、実際には、判決内容の決定には感情が重要な働きをしていることを示す事例があります。それは、頭に砲弾の断片が当たり前頭葉が傷ついた結果、感情を完全に喪失した判事の事例です。感情がなければ偏見も生じないので、判事としてより公正な判断ができそうな気がしますが、事実はその逆でした。その判事は熟考の上、辞職します。「自分はもう関係者の動機に共感することができないが、正義とは単なる思考ではなく感情に関わるものであるから、障害を負った自分には適性がないと考えた」というのがその理由です。

多くの重要な選択には感情が伴うとしても、私たちの日常的な決断のうちのかなりのものは、意識上では感情抜きになされています。しかし、上述のように面接日を選択することにも実は感情が重要な働きをしていることが推測されます。そして、「正義」という哲学的な概念、つまり理性で突き詰められると思われる概念であっても、その思考には感情が重要な役割を果たしていることが伺えます。

カウンセリングは、クライエントがセラピストと共に、自己を探究するプロセスです。例えば、クライエント が自分の名付けがたい感情に向き合うこと、自分の選択肢の意味を考えそれと向き合うこと、そして、人生の意味について考えること。そのプロセスに際して、感情がとても重要であることは、以上の説明からおわかりいただけたでしょうか。もちろん、カウンセリングに限らず、日々の生活の中でも感情が大切であることは、言うまでもありません。

参考)

1) Rothschild, B. (2000). The body remembers: the psychophysiology of trauma and trauma treatment. NY: Norton.
2) アントニオ・R・ダマシオ著、田中三彦訳『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』ちくま学芸文庫、2010年
3) オリヴァー・サックス著、吉田利子訳『火星の人類学者』早川書房、2001年