エンカンター・グループの歴史について見ていきます。現在のエンカウンター・グループは、もともと二つの流れによって形作られてきました。
一つは、来談者中心療法で著名なカール・ロジャースによるものです。話は1946年ごろに遡ります。1945年に第二次世界大戦が終わり、復員軍人の社会復帰が社会的な課題になりました。心理カウンセリングの有効性に 注目した政府が、短期間で有能なカウンセラーの育成をロジャースに依頼をしたことが、その契機になりした。ロジャースは政府の依頼を受け、グループでの合宿形式でトレーニングを開始し、これを「ワークショップ」と呼びました。ちなみに、これが「ワークショップ」という言葉の始まりだとされています。現在は様々な場面で使われる「ワークショップ」という言葉は、元来は「カウンセラー養成のための合宿形式のトレーニング」という意味合いを持つものだったのです。
ロジャースはセラピストに対する技術的な訓練には、あまり関心がなかったと言われています。ロジャースは、セラピストがどの介入技術を使うかは二の次で、一義的に重要なのは、セラピストの感受性だと考えていました。つまり、ロジャースは、優秀なセラピストの条件は「自分に正直であること、共感する能力、無条件の肯定的関心」であると考えていたので、個人的感受性訓練が最も役立つと考えていました。この個人の感受性訓練というのがワーク・ショップです。この運動が1960年代の人間性回復運動の流れに乗って、活発に展開していきました。
もう一つの流れは、1946−47年ごろ、社会心理学者であるクルト・レヴィンによるものです。当時の米国では(現在よりもさらに)人種問題が社会的課題となっており、この問題を解決するために研修会の実施が政府かれ依頼されました。レヴィンが中心となり、人種問題解決にむけて合宿形式でスタッフを養成した際に、運営スタッフだけで振り返りミーティングをしているのを見た参加者が異議を唱え、それならばスタッフもメンバーも一緒にグループワークで起きたことを話し合おうということになり、これがT-groupと呼ばれるグループ・ワークになりました。日本にエンカウンター・グループが紹介される以前には、このT-groupがセンシティビティ・トレーニングやラボラトリー・トレーニングといった名称で実践されていました。
以上のロジャースを中心として発達してカウンセラー養成のためのワークショップと、人種問題解決のためのスタッフ養成のためのT-groupという二つの流れがあり、一般的には前者が母性原理的、後者は父性原理的であったとされます。その後、1960年代になると両者は交流を始め、ロジャースの流れを組むグループ・ワークの参加者が次第にこの運動を「ベイシック・エンカウンター・グループ」と呼ぶようになります。ちなみに、近年においてはT-groupにも母性原理的なものもあり、両者の違いは当初ほど明確でないようです。事実、私が参加したセラピスト養成のためのIntegral T-groupと呼ばれるトレーニングは、究極を言ってよいほどの母性原理、つまり愛と受容を根本的価値に置いているトレーニングでした。
エンカウンターグループの日本での展開ですが、まず九州に紹介され、そこを中心に活動が展開されていきます。日本での展開についてはまた後日書くかもしれません。