「エンカウンター・グループ」という言葉を耳にしたことはありますか。「エンカウンター」というのは「出会い」ですが、単に「会う(meet)」のではなく、「私」と「あなた」という一対一の存在として、互いに自分を開いて向かい合うことを意味します。「エンカウンター・グループ」は、複数の人で「出会う」場を体験するグループ・ワークです。
エンカウンター・グループの始まりは1940年代にさかのぼります。いくつかのムーブメントが結実したもので、一言にエンカウンター・グループといっても、複数の潮流があります。この辺りについては、また後日書くかもしれません。
他者との関係性において、相手を「あなた」と捉える態度と「それ」と捉える態度の二つがあるというのがマルティン・ブーバーという神学者の主張です。どちらの態度が優れているというのではなく、その二つの態度をどう自分のなかで使い分け、いかに調和させることができるか、それは人格の成長度合いによるというのが彼の考えです。
療法やセラピストの考え方にもよりますが、私は、カウンセリング でのクライエントとセラピストの関係性は、この「エンカウンター」に当たると考えています。肌の色や性別や生育歴、そして社会的立場など、それらを全部包んだ上での他者を「あなた」として敬意を払い、自分を開いて向かい合う。それは対話と呼ぶこともできます。
「わたし」と「あなた」が出会う。簡単なようですが、そういう瞬間はむしろ日常生活では限られているのではないかと思います。「子ども」「女性」「男性」「親」「社会人」等々、ある括りによって対象化され、その枠組みの中において行動することが期待されるというような、他人や社会の期待に呼応する存在としての「それ」。主体性を無視された「それ」として扱われることの方が多いのではないでしょうか。
「それ」として扱われること自体は悪いことではありません。期待されることは動機付けにもなりますし、社会を構成する存在である「それ」としての機能は重要でもあります。でも、「それ」としてばかり扱われたり、大切な人から「それ」と扱われたりすると、そのような経験は人を傷つけ、力を奪う可能性があります。
「わたし」と「あなた」として他者と出会い、親密な関係を結ぶこと、そしてその関係性を過ごすことは、「自分」自身とも出会うことになり、それ自体が癒しになります。ですから、日々の生活を通して、癒しの経験を重ねることは十分に可能です。その時の他者というのは、人に限らずモノかもしれませんし、経験かもしれません。つまり、日常生活の中では傷つくことも起こるし、また癒されることも起こる。それがプラスマイナスでゼロもしくはプラスになっていれば、生活していくエネルギーが枯渇することはないと考えられます。
実は、私はエンカウンター・グループを主催していて、今日も進行役を務めました。そこで気づきを得ることができたので、エンカウンター・グループについて書き始めました。まだ本題に入っていない感もありますが、長くなりましたので今回はこの辺で。