環境が人を作る

写真は、米国のスーパーマーケットのバターの棚の写真です。私は米国滞在中、このバターの値段に慣れることができませんでした。つまり、買う度に感動していたのです。日本と比べて格段にお手頃で、454グラムが300円程度です。日本だと、200グラムで500円近く、つまり、米国の4倍近くの値段です。

私はお菓子作りを時々します。米国のスーパに行くと、バターも小麦粉もフルーツも、お菓子作りをしろと言わんばかりに種類豊富に商品棚を飾っています。さらに、アーモンドプードルもその他のナッツ類も大きな袋で売られており、お手頃価格です。米国はお菓子作りには天国の地だと思っていたその頃、たまたまニュースで、日本は年末に向けてバター不足が予想されるのでオーストラリアから冷凍バターの緊急輸入を決めたと耳にして、なんとも言えない気持ちになりました。

結局、環境が人をつくる、ではないですけれど、米国でフルーツやナッツ類を使ったボリュームのあるお菓子がいろいろあるのは、それを作る材料が豊富だという環境が揃っているからではないかと思います。

長くなりましたが、ここまでが前置きです。

さらにバターについてですが、かなり前に英国に一年滞在した時に、一緒にいた英国人がバターを一切れパクっを頬張り「このバターは美味しい」と言っているのを見て、衝撃を受けたことを覚えています。バターって食べて味わうものなの?と。そんな食べ方して体に悪くないの?とも。バターへの距離感が違うというか、感覚が違うなと印象的でした。

同様に、スイスに住んでいるときに、TGVという新幹線のような乗り物でミラノに日帰りで買い物に行くことがあったのですが、ミラノで思ったのは、どの個人店で売っている洋服も個性的でお洒落だと言うことです。「ふつう」なデザインのものは置いていないという風で、それぞれのお店の個性が際立っていました。そこで私が思ったのは、ミラノに住んでいればおしゃれになるのは必然だということです。おしゃれなモノしか売っていないので。これもある意味で「環境が人を作る」と言えるのではないでしょうか。

もう一つあげると、生活の中の自転車です。サンフランシスコでは自転車は市民権を得ていて、しっかりと「車」というくくりで活躍しています。つまり、自転車は歩道ではなく車道を走ることが当然視されています。あちらこちらに駐輪場があり、また、バスの正面には自転車を載せるラックがついていて、自転車からバスへの乗り換えも自在です。もちろん、電車にもそのまま乗れます。道も広いし、雨はあまり降らないし。書くときりがないくらい、自転車に適した環境があります。気づくと、私もヘルメットをして腕で右左折の意思表示をしながら車道を走るようになりました。帰国して東京でも自転車に乗っています。環境が違うので戸惑うこともありますが、それでも気持ちが良いです(特に渋滞で車が進まない中、自転車がスイスイといける時)。この「東京の車道を自転車で行く私」は、米国滞在を経験しなければ、ほぼ確実に存在しなかったと思います。

「環境が人をつくる」と言う時、家庭環境、友人や先生との出会いなどによる人格形成の意味で使われることが多いのではないでしょうか。でも実は、バターに対する感覚や自転車の乗り方、何を着ているかまで、実は環境に影響されているのだということがわかります。裏を返せば、環境を変えれば人は変わるとも言えます。このように考えると、しばしば耳にする「あんな風になりたい」と思う人がいる企業に就職するのが良いというアドバイスにも一理ありそうです。

皆さんが「あんな風になれたらいいな」と思う人は、どのような環境で生活していますか。