区画化 (compartmentalization)は、知性面での防衛の一種ですが、合理化や道徳化よりはむしろ解離に近い防衛です。解離は、経験に伴う意識や知覚を自分から切り離すことで葛藤を回避する防衛で、結果として、その時の思考や感情がすっぽりと記憶から落ちてしまいます。区画化でも、似たような現象が起こります。
区画化は、自分の中にある矛盾する二つの考えや感情などについて意識レベルで葛藤しないですむように、それら矛盾するものの存在の認識を回避する防衛です。感情の分離は、経験に伴う認知と感情を分離して感情の認識を回避する防衛ですが、区画化は、矛盾する認知どうしを分離して、両方を同時に認識することを回避します。ある人が区画化で防衛する時、その人は自分の考えや態度の矛盾を認識しません。しかし周囲の人からは、自分の信じていないことを信じているように見せかけたり、実際にすることと信じていることが真逆だったりする偽善者という印象を与えます。
日常的に私たちが使いがちな区画化の例としては、民主主義は大切な理念だと主張しつつ家では全く人の意見をきかず自分の考えを押し通す人、恋人の二股を責めながら実は自分も二股をかけている人、などが挙げられます。区画化は組織や文化の単位で採用されることもあります。例えば、全く矛盾する公約をする政党(軍事費の増大と減税)や「もったいない」とモノを大切にする意識と使い捨て消費行動、などが考えられます。
より不健康な例としては、公の場では人道的な活動に打ち込む人が、家では児童虐待をしている場合などが挙げられますが、この種のニュースは時々目にすることがあり、それほど珍しくありません。ただし、本人がこれらの矛盾に意識的であったり、その時に解離を起こしていた場合には、定義上、区画化とは見なされません。
区画化を使っている人がその矛盾を指摘された際には、合理化を使って矛盾を否定します。例えば、上記の二股の例でいえば、自分の浮気は単なる遊びだから批判には値しない、などです。
極端な例を見ていると、自分は区画化なんて防衛は使っていないのではないかと感じるかもしれませんが、矛盾を意識していないのが区画化です。ただ、どちらの矛盾する要素にも意識的になればアクセスできるので、いま一度、振り返ってみると新たな気づきがあるかもしれません。
参考)
McWilliams, N. (2011). Psychoanalytic diagnosis: Understanding Personality Structure in the Clinical Process. (2nd. ed). New York: Guilford press.