投影について続けて投稿しましたが、「なんか怖い」という感想をいただいたので、投影の肯定的な側面について書こうと思います。
世界を彩る投影
誰でも自分の心の安定を保ち自己肯定感を維持するために、さまざまな心理作用を行いながら毎日を過ごしています。特に、不安を呼び起こすような衝動や感情などから自我を守る心の働きを防衛機制と呼びます。人間には多様な防衛機制のスタイルがあり、投影も防衛として作用する場合があります。しかし、広い意味で投影を考えると、防衛機制以外にも考えられます。
この世のあらゆる事象に本来の固有の意味はなく、善悪を含む全ての意味は後付けだとする考え方が前提にあります。そして、その意味付けをする一つの方法が投影です。投影は、自分の内面世界(無意識のものや、意識的解釈など)を世界に映すことだと広い意味で捉えられます。
例えば、相手の笑顔を見て、「喜び」「嬉しさ」はたまた「失笑」「照れ隠し」と相手の気持ちを解釈するのは、他ならぬ私たちです。つまり、相手の気持ちを想像する「共感」も広い意味では投影であることがわかります。投影について書いた投稿で触れた「カゴの中の犬の写真」のエピソードも同様です。ですから、常に私たちは投影によって世界を解釈し、それによりよく適応しようと生きているとも言えます。
投影をプラスに
楽しい会食で、雰囲気も盛り上がり自分も楽しい時、隣席の人も楽しいだろうと自然に(無意識に)想像します。そして、その前提で会話をしたり飲み物を勧めたりするうちに、実際にはその隣席の人は落ち込んだ気分だったとしても、なんとなく元気が出てきたりします。これは、自分の「相手も楽しいに違いない」という投影とそれに基づく相手への働きかけが、実際に隣席の人を「楽しい気分にさせる」働きをしています。グループの中では、このような無意識の心理プロセスを経て、メンバーが似たような気分になることがよくありますが、みなさんもご経験があるのではないでしょうか。私たちは、無意識のレベルで相手と影響を相互に与えながら、生活をしています。このように考えると、心理面でも「朱に交われば赤くなる」と言うことができそうです。できれば、前向きな投影をしてもらって自分も(さらに)前向きになれる、そんな人と無意識の相互作用を持ちたいですね。
これまで数回取り上げてきた投影は、日常生活で誰もが頻繁に行なっている心理作用ですが、それが「怖い」感じがするような問題になるのは、投影の内容が極端に否定的で、防衛機制として作用するときだと考えられます。また、防衛機制について考える際には、自分の内的世界と外界を分けるバウンダリー(境界線)のあり方も重要な鍵になります。「怖い」感じのする投影は、多くの場合、バウンダリーが曖昧になっていると考えられます。