投影 ② あなたに映る私

先の投稿で投影について書きましたが、今回もさらに投影について書いてみたいと思います。なぜかというと、日常生活のなかで内省の材料として取り入れやすいからです。

投影と内省

まず、以下に英国の精神分析家のA.ストーの著作『人格の成熟』(岩波書店)より引用します。


「人間はみずから自己のものとして受け入れることのできないものは、つねにこれを他人のうちにおいて非とするものであり、人間のもっとも激しい非難の感情を刺激するのは、外でもなく、自分の承認されていない劣等部分なのである。(中略)自分のもっとも嫌悪する人物たちを研究するのは、苦痛な作業ではあっても、得るところの多い仕事である。なぜなら、そのような研究は、自分の人格の投射された部分、したがって、自分の人格の承認されていない部分を明らかにしてくれるからである。」(pp.129-130)

引用文中の「投射」は「投影」のことです。(中略)の部分には投影の例として「同性愛者を最も激しく攻撃するのは潜在的同性愛者」「戦闘的無神論者の告発が明らかにしているのは、己の罵倒している当の宗教から、自分がいかに大きな影響を蒙ってきたか、ということ」などが挙げられています。

ストーの考えに従うと、「他人の不倫を最も激しく攻撃するのは潜在的浮気者」と言えます。また「新型コロナなんてただの風邪、自粛なんて無意味だしマスク着用なんて愚かしい」と声高に激しく叫ぶ人は、新型コロナウィルスの脅威に深く影響を受けている人ということになります。身近に、似たような例はありませんか。また、あなたが激しく嫌悪感を抱く人物や行為は何でしょうか。

社会生活の中の投影

近代は、性に関する領域で抑圧が起こりやすい社会文化ですから、離婚、不倫、同性愛などには激しい嫌悪感を持つ人が多くなりがちで、それが社会レベルでの排斥に結びつくこともあるのです。また経済的なことも抑圧する傾向が強いでしょう。裕福な人に対する強い反感、成功した起業家による100万円のお年玉の配布行為に対する強い非難などがその例として考えられます。

一方で、自分の中に抑圧された影(シャドウ。無意識に抑圧している自分の一部でそれを自分で認めていない部分。引用文中では「自分の承認されていない劣等部分」に該当)がない人は、激しい攻撃を他者に向けることはないということになります。実際は解脱した聖者でもない限り、誰にでも影はあるわけですが。それでも、周囲が攻撃している対象をあなたはスルーできたとすれば、それに関してあなたの中には影がないから投影が起こらないと考えられます。

別の言い方をすると、いつも人の悪口を言っている人は、自分の中に影が多く、自我が不安定な人です。そして、そういう人は似た者同士で群れます。なぜなら一緒に悪口を言ってくれるので自己正当化ができて安心なのです。また、「この世の中は悪が多い。世界を良くしたい!」と活動する人が、実は自分の中の「悪いもの」を世界に投影しているという可能性も考えられます。

冒頭に挙げた『人格の成熟』ですが、原題は『The Integrity of the Personality』です。Integrityは「(欠けたり分裂していない)全体、一体性」といった意味です。投影の文脈で言えば、自分の認めたくない部分を抑圧したり投影したりせずに全体の中に取り入れ統合させることで、心理的な成熟に向かうのだというのが邦題の意図だと思います。。原著は1960年に一般書として出版され、今日まで版を重ねるベストセラーです。内容はところどころ専門的かもしれませんが、平易な文章で読みやすい本です。

引き続き、「投影③共感の基礎」で投影について書いています。