これまで、さまざま不安について書いてきましたが、実は、生きること自体が不安の要因だとする考え方もあります。例えば、「自分の人生の意味はなんだろう」「この選択は自分にとって最適なのか」など、生きているとわからないことの方が多く、それに不安を感じることは、皆さんも経験があると思います。
このような不安を「実存的な不安 (existential anxiety)」と呼ぶことがあります。英語圏の人は、この「実存的な不安」という表現を日常生活で使いますが、日本語では「生き方に対する不安」「人生に対する不安」という表現の方がしっくりすると思います。
実存主義者は、生きること自体が恐怖であると主張します。例えばその一つの要因として、死があります。生きていれば、いつかは死ぬことは確実です。この事実が恐怖を呼び起こします(そのために、考えることをしない人が大半ではないでしょうか)。いつ死ぬか、どのように死ぬかは、その瞬間までわかりません。そして、死ぬこと以外にも様々な人生の必須条件が不安を呼び起こします。例えば:
【孤独】私たちは、一人ぼっちで生まれ、一人ぼっちで死んでいきます。どれだけ知り合いが多くても、私たちの人生は本質的に自分一人で生きていかねばなりません。広大な宇宙の中、複雑な世の中で、自分は一人ぼっちなのだという孤独感が不安となります。
【自由と選択】選択の自由が保障されている社会では、誰もが何をしてどのように生きていくのか、無数の選択肢の中に投げ込まれます。無限の選択肢を前にすると圧倒され恐怖すら感じでしょう。そのために、逆に身動きが取りにくくなる場合すらあるかもしれません。そして、選択をするということは、選択したもの以外を手放すことでもあります。「大切なものを選び損ねてしまうのではないか」「取り返しのつかない選択をしてしまうのではないか」という不安は、人生における不安の最たるものと言えるかもしれません。
【責任】人は、自分の行動と選択に対して責任を負います。この「責任を負う」ことが不安になります。なぜなら、行動と選択の結果について、もしもそれが否定的な結果であった場合にも、自ら責任を取る必要が生じるからです。「責任を取る」というのは、必ずしも「非難」「評価」を意味するのではなく、あくまでも自分の現在のあり方や生き方に主体的になるということです。それでも、やはり責任には不安を感じることが多いのではないでしょうか。
【意味】実存主義の考え方では、人生には本質的な意味というものはありません。本質的意味が存在しない自分の生を漂うようなあり方は、疎外感や心許なさといった不安を呼び起こします。そういった不安を和らげるためには、個人個人が独自に人生に意味を見出す必要があります。
【親密さ】親密な関係を渇望すると同時に恐れを感じることは、人生におけるジレンマと言えます。親密な関係への恐れとは、相手が自分のことをより深く知るようになった時、その結果としての相手の反応に対する不安の場合もあるでしょう。また、親密になった結果、相手と自分の境界が曖昧になってしまう不安を感じる場合も考えられます。
以上の例は、人生の避けがたい条件と言えます。つまり、誰もが直面する不安です。これらの不安から逃避するために、消費行動に勤しんだり、強迫的に遊び回ったり、仕事や買い物、薬物やSNS、ビデオゲームに依存したりと、止まることなく忙しく過ごしている人は少なくないようにも見えます。こう考えると、生きることに対する不安が、現代の生活文化スタイルを作り上げたとすら言えるかもしれません。
生きることに対する不安の解決策は何かといえば、これら不安に正面から向き合うことです。孤独や自由、選択と責任といった人生の必須条件から逃げずに直面することで、その人の個性や価値観、生き方が見えてきます。そして、それを実生活に反映させていくことで、自分らしい生き方に近づいていくことができます。このプロセスには時間がかかります。他者との対話、特に実存主義的なアプローチをとるセラピストとの対話は有益でしょう。けれども、実存的不安は、次第に前景から背景へと後退していっても、完全に解消することはありません。なぜなら、実存主義の観点からは、人は生きている限り、不安を呼びおこす条件からは自由にはなれないからです。
参考:Cortright, B. (2020). Holistic healing for anxiety, depression, and cognitive decline. CA: Psyche media.