トラウマとは
英語でトラウマについて論じる時、頭文字が大文字の”Trauma”と小文字の”trauma”で意味を使い分ける時があります。Trauma(頭文字が大文字)は、命が危険にさらされるような大きな脅威で一回性のもの、trauma(頭文字が小文字)は、Traumaほどの脅威ではないけれどもその個人にとって大きなショックを与える経験のことで継続的なものを指します。traumaのことをマイクロトラウマや関係性トラウマなどと呼ぶことがあります。今回は、Traumaと脳について書きます。以下、本文中のトラウマはTraumaと解釈してください。
トラウマという言葉はギリシャ語の「肌を突き刺す、貫通する、穴を開ける」という言葉からきています。肌を身体を覆う袋に例えれば、身体という袋を何かが貫通して穴が開くことだと解釈できます。フロイトはこの言葉を心理学に用いました。つまり、ある出来事によって心を覆う肌(防護膜)が破れて心に穴が開いてしまうことを比喩的に表現したのです。フロイトは、このことは脳(意識)が外部からの刺激を受容するか遮断するかを選別する感度と関係すると述べています。この「情報を受容するか拒絶するか選別する感度」がトラウマの文脈では非常に重要になります。
乳児や幼児であれば、親や他の世話をする大人が、その成長に応じて環境上および感情の上での刺激を選別する機能を果たします。例えば出産直後の新生児であれば、子宮となるべく似た環境になるように明かりを避けた温かな場所に寝かせます。また、保護者は子どもの年齢に応じた映画を選んだりもします(残虐シーンや性描写などの観点から)。このようにして、(幸運であれば)子どもは自分の処理能力を超えるような大きな刺激に晒されることなく成長します。そして大人になるまでには、個々人が自分の特性に合わせて刺激を選別して生活スタイルを築くことで、自律的に刺激の受容と拒否のバランスをとるようになります。例えば、活動的な人は運動クラブに所属し、仕事も身体を使うものを選ぶ一方で、集団行動が得意でなく聴覚が敏感な人は、静かなオフィスで一人で仕事を完結できる仕事を選ぶなどです。しかし、時には、例えば大事故に巻き込まれたり残虐行為を目撃したりなど、個人のバランス維持能力を超える驚異的な強い刺激を受ける可能性があります。その出来事が起きている時、その人の意識は機能を失うと言ってよく、その驚異的な刺激の意味を解釈したり対応したりすることが不可能になります。別の言い方をすると、心の防衛機制が決裂してしまい、受容する刺激と拒絶する刺激の選択ができなくなってしまうのです。大きすぎる刺激のために心に穴が開いてしまい、そこから拒絶すべき情報が入ってきてしまう、だからフロイトはトラウマという言葉を用いたわけです。
トラウマと脳
この時、脳では何が起きているのでしょうか。以前に脳の三層構造について説明しましたが、簡単に復習すると、脳幹は生命維持のための反射的現象を担い、大脳辺縁系は感情を担い、大脳新皮質は思考を担います。そして、大きな驚異に遭遇し生命の危険を感じた時、脳は自らの存続を最優先するために、大脳辺縁系(感情)と大脳新皮質(思考)をシャッドダウンします。そして唯一機能し続ける脳幹は、「闘争、逃走、凍結 (fight, flight, fleeze)」という反射反応によって自らの生命を守ろうとします。一瞬を争って反応する必要があるので、余計な感情や思考はシャットダウンして、生命維持に必要な最小限の機能だけを維持するのです。
記憶の生成を担う大脳辺縁系も大脳新皮質も機能していないために、起きていることの「意味」「解釈」をしないままに、その場の情報が五感から脳に伝わります(音、匂い、景色、暑さ、など)。それら情報はバラバラのままで「記憶」に加工されることはありません。そして、それらの「ばらばらの情報」は、意識にリンクされることなく無意識に蓄えられます。
PTSDと脳
ここで重要なのは、無意識の内容物の二つの特徴です。一つは「言語」が与えられていないこと、そして「時間」の概念がないことです。つまり、例えば、白く霞んだ状態に「煙」という言葉は与えられていません。そして、時間の観念がないので、常に「今」の状態です。別の言い方をすると、常に「アクティブ」なのです。
例えば、火事に巻き込まれ、炎の熱と視界を遮る煙の中、助け出された人を考えてみましょう。そして、あまりの驚異的な心理的な刺激のために、火事の真っ只中にいる時、その人の大脳辺縁系と大脳新皮質がシャットダウンされていたとします。のちになって、その人が旅行で山荘に一泊し、朝になって窓をあけると視界全体が白い朝モヤに覆われていた場面を想定します。その「朝モヤ=視界が遮られる」情報が、無意識に蓄えられた火事の際の視覚情報を刺激すると、フラッシュバックとよばれるPTSDの一つの特徴を引き起こすと考えられます。または、バーペキューの炎で肌が熱さを感知した時に、無意識内の火事の際に感じた熱の感覚が呼び起こされ、フラッシュバックが起こる可能性があります。無意識の内容物はいつもアクティブなので、外部刺激によって、まるで火事が「たった今」起きているような感覚を引き起こすのです。
トラウマの治療
上記のようにトラウマを理解したときには、トラウマの治療は、無意識に取り込まれたばらばらの情報をプロセスしていく過程になります。
トラウマの治療には、EMDR、身体からのアプローチ(ハコミ、ソマティック・エクスペリエンスなど)、認知療法、曝露療法などが、実証研究に基づき有効とされています。言葉のついていない記憶は、身体感覚やイメージとして残っていると考えられるため、当オフィスでは、クライエントの了解を得たうえで、マインドフルネスになった状態で身体感覚やイメージを探求しながらトラウマにアプローチしていきます。
参考)
1) Garland, C. (Eds.). (2002). Understanding TRAUMA: a psychoanalytical approach (2nd ed.). London: Karnac books.
2) Cortright, B. (2020). Holistic Healing for Anxiety, Depression, and Cognitive Decline. CA: Psyche Media.