前回、共感について書きましたが、その続編です。
共感は常に良いことか?
一般的に言って、「あなたは共感する力が強い」は褒め言葉として使われます。確かに、相手の気持ちや経験をその人の立場になって理解できることは素晴らしいことでしょう。ただ、肝心なのは、その共感力の使い方です。使い方によっては、恐ろしいことになる可能性もあるからです。
共感する力も使い方次第
共感する力があるからこそ、相手の立場になって一緒に考えることが可能になります。これは、カウンセラーの仕事の要とも言えます。しかし、相手の気持ちを理解できるからこそ、相手を「操作」することも可能になります。具体的にはどういうことでしょうか。
例えば、相手の気持ちや経験が十分に想像できるからこそ、相手が恐怖に感じる事がらや状況をも十分に想像できる。しばしばこの文脈で例に出されるのは、ヒトラーです。彼は共感力が強かったからこそ、人々を恐怖に陥れ、さらに扇動することができたと言われます。つまり、「ヒトラーの共感能力って抜群だよね」ということになります。
もう少し身近な例で言えば、詐欺事件です。「オレオレ詐欺」もネズミ講の投資詐欺も、主犯人物の共感能力は非常に高いと考えられます。「こうアプローチすれば相手はこう感じて、こう反応するだろう」と相手の立場になって想像する能力が高いわけです。それゆえに、知らず知らずのうちに騙されてしまう人が続出することになります。
共感力と操作
こう考えると、例えば優秀な営業担当者は、共感力の高い人が多いと推測できます。顧客のニーズを汲み取り、相手の立場を想像しながらセールス・トークによって訴求し、購買意欲を刺激するわけですから。そして、なるべく単価の高いものを勧めることも十分に考えられます。例えばデパートや家電ショップなどで、皆さんも経験されたことがありませんか。それでは、優秀な営業担当者とネズミ講の親玉とは、何が違うのでしょうか。同様に、生徒の声に耳を傾ける熱心な教師と反社会的宗教の教祖とは何が違うのでしょうか。
「カウンセラーは話を聴くだけ」と批判されることがあります。これは、あながち間違った観察ではありません。共感と操作の文脈で言えば、カウンセラーが、アドバイスによって無意識にクライエントを「操作する」可能性を自覚していることがその理由です。つまり、「クライエントにこう生きてほしい」という期待等がアドバイスに反映されてしまい、結果としてクライエントが自分の人生を生きることを阻んでしまう可能性を警戒しているのです。もちろん、状況や療法によっては、カウンセラーがアドバイスをすることもありますが、それは慎重な検討の上であることが前提です。万一、カウンセラーが内的検討を加えずにアドバイスをし始めたなら、それはカウンセリングで最も重要ともいえるクライエントとの関係性を大きく損なうことになります。
これまで、共感するとはどういうことか、そして共感も使い方次第だということを書いてきました。皆さんの周囲で共感力の高い人は思い当たりますか。ちなみに、私が最近印象的だったのは「半沢直樹」です。彼の共感力は抜群ですね。