投影 ①

投影とは

投影というのは、無意識の心理の働きで、自分の中のものを外界に映し出すことです。無意識なので、それが自分の中にあることにも、外界に映し出していることにも気づいていない状態です。

ここに、いつもスキップをしている人がいるとします。「スキップする」をここでは心理的な状況の例えとします。その人に向かって「あなたが嫌いだなと感じる人はどんな人?」と聞いた時に、「そうですね、スキップする人をみるとイライラします」と答える、これが投影です。それを聞いた人は「え?あなた常にスキップしてるよね?」とにわかには理解しがたい気持ちになりますが、本人はいたって真面目。自分がスキップしていることを意識していないばかりか、スキップしている自分を認めていない、否定しているわけです。そしてそれを他者の上に映し出して否定します。この「スキップする」を例えば「怒り」「自分は劣っているという思い」といった心理的なものに置き換えてみてください。置き換える内容は様々でも、また程度や頻度は違えども、このような投影を誰もがしていることになります。

直接攻撃された経験等があればその人を嫌うのはある意味自然なことですが、特に理由がないのに否定的に感じる人がいる時、それは投影の可能性があります。身近でいえば、パートナーや子ども、職場の同僚などの否定的に感じる態度が自分の投影という場合です。投影している人は、「投影している」と意識できないので、投影という知識がなければ投影の可能性を検討できません。

投影のいろいろ

上記のように、自分の中にある自分では受け入れられない否定的な側面を他人に映し出すことを防衛機制の投影といいます。自我は自分の中に否定的な要素があることに耐えられないので、無意識に抑圧して外界に排出してしまう(投影)、という説明がされます。しかし、実は投影は防衛にだけ用いられる心理的作用ではなく、中立的な投影、積極的な投影もあります。そもそも、人が認識する世界は9割以上が投影だ、というような言い方もあります。つまり、ありのままを見るのではなく、自分の内的世界での意味付けによって世の中を見ているということです。「色眼鏡をかけて見る」という表現がありますが、まさにそれです。

実際に2人でペアを組んで、雑誌の切り抜きの景色や動物などの写真を見ながら、その景色のイメージを話したり、動物にキャプションをつけたりすると、同じ切り抜きでも、そこに見るもの、感じるものが大きく異なることに驚かれると思います。例えば、カゴから顔を覗かせている数匹の子犬の写真をみて「世界は危険だからここにいるのが安全」とキャプションをつける人もいれば、「うわー、きれいな花が咲いている。ちょっとカゴから出てみない?」とキャプションをつける人もいます。同じ写真をみても、「映し出しているもの」は正反対になり得るのです。これも広義の投影と言えます。実は、この例は私が実際に大学院の授業で経験したことです。ペアを組んだ学生と、思わず顔を見合わせたことを覚えています。

積極的な投影の例としては、歌手や政治家への投影が挙げられます。あの政治家が大好き、と思っているけれど、実は自分の潜在可能性を投影している場合などです。嫉妬の原因にもなり得ます。嫉妬を感じるのは、その人のある要素を自分が持っていて、まだそれを発現できていない場合かもしれません。「素敵だな」と思う人がいたら、その魅力が自分にも眠っている可能性を検討してみてはいかがでしょうか。

解脱を目指して修行している人など一部の人を除けば、私たちの大半は「投影せずものごとをありのままに見る」ことに関心を払う必要を感じずに過ごしています。でも、ちょっとひっかかる出来事があった時に、「それって自分の中のものの映し出し?」と立ち止まってみることは、時に有益かもしれません。

この投影という概念は、いろいろな側面から語ることができるもので、このブログでも数回に分けて書いています。


■メールアドレスを登録いただくとブログ更新のお知らせが届きます