メンタライジングは、自分や他者の言動や態度の背後にあるこころの状態や働きを想像する心理的な機能です。自分には自分のこころがあり、相手には相手のこころがある、そして相手のこころを完全に知ることは自分には不可能だという認識がメンタライジングの大前提になります。そして、メンタライジングには想像力、好奇心、曖昧さ(完全にはわからないこと)への耐性や、今ここでの気持ちへの気づきなどが必要になります。通常、私たちは無意識にメンタライジングをしながら生きていますが、大きなストレスがかかった時などにはメンタライジングする力が弱くなります。メンタライジングができなくなっているとき、どのようなことが私たちの心には起きているのでしょうか。
メンタライジングには先行する二つの主観的なモードがあり、成長過程でこれらの二つのモードが統合されメンタライジングができるようになると考えられています。この二つのモードとは、psychc equivalent modeとpretend modeです。それぞれについて見ていくことにします。
「自分が感じたこと=現実のこと」と感じる状態(Psychic equivalent mode)
一つ目は、「自分の内的世界が現実である」と認識する状態です。例えば、「あなたが私を馬鹿にしている」と自分が感じた時、それが相手の心の完全な理解であると決めつけるモードです。自分の内的世界の見方、感じ方と物理的外界の客観的事実とが別々に存在すると認識するのではなく、前者が後者をコントロールする力を持っており、両者の差異がなくなる状態です。
このモードの特徴は、自分以外の視点に対する非寛容さにあります。つまり、自分の意見を絶対視し、それ以外の解釈の可能性を認めません。その人にとっては「自分の内的事実=外的事実」であるため「私はあなたが私を馬鹿にしたと感じた、つまり、あなたは私を馬鹿にしたのだ」という主観的経験のモードです。発達段階としては、2−3歳の幼児の主観的経験に対応するといわれます。
例えば、こころの健康度が下がった状態では、「自分はダメな人間だ」といった自己否定の感情が、単なる自分の感じ方ではなく現実であるように感じる場合があります。つまり、外的世界の独立性が失われ、内的世界が外的世界を支配している状態です。別の例では、フラッシュバックがあります。フラッシュバックは恐怖を感じる思考が現実に起きていると感じる状態ですが、ここでも内的世界と外的世界の間に全く距離がなく、こころの中にメンタライジングをするスペースがなくなっています。
自分の感じていることが現実と接点を持たない状態(Pretend mode)
対照的に、Pretend modeとは内的世界と外的世界の距離が遠すぎて、もはや内的世界が外的世界と無関連になっている状態を指します。自分の世界というバブルの中にとどまり、他者との交流ができません。「pretend」とは「〜のふりをする、偽る」という意味があります。この状態にいる時、その人は現実について語っているようにみえますが、その言葉は現実にリンクしてないため内容が空虚であり、矛盾する主張がなされたり、結論がなかったりします。また、話している内容と話し手の感情が一致していないこともしばしばあります。
トラウマ的体験後や大きな衝撃を受ける知らせを受けた後など、その経験が現実感を持たずに空虚感や解離状態を経験することがありますが、pretend modeの一例と言えます。恒常的にpretend modeの傾向が強いと現実との関連性を欠いた内的世界に生き、空虚感や無目的な状態にさらされることになります。その辛さを回避するために神秘主義的な信仰などにより(幻想の)現実との関連を取り戻そうとする場合もあるとされます。ちなみに、pretend modeは創造性とは関係がありません。
内的世界と外的現実の間のスペース
上記の二つのモードは、内的世界が外的世界を支配してしまい両者の間に距離が全くないモードと、逆に、両者の距離が開きすぎて内的世界が外的世界と何の関連を持つこともできなくなってしまうモードという両極に位置します。ここでの鍵は、内的世界と外的世界の距離にあります。近すぎもせず、遠すぎもせず、ある程度の距離感を保てるとよいと言えます。メンタライジングは、そのスペースで可能になるものです。この二つのモードが統合されたのがメンタライジングで、現実とリンクした不確実な解釈の可能性の選択肢を複数持つことができるようになります。
心理カウンセリング(サイコセラピー)のプロセスがすすむと、新しいスペースが開いてきます。英語では、”A new space opens up”と表現されることがあります。この「スペース」には多様な意味がありますが、メンタライジングの文脈では、相手や自分のこころに思いをはせるスペースという意味合いになるでしょうか。
日常生活とメンタライジング
上述のように、メンタライジングには、曖昧さへの耐性やさまざまな視点への寛容さなど精神的な余裕が必要で、そのバランスの上で可能になる心的機能です。逆に言うと、誰でも精神的な余裕がなくなると上述の2モードのどちらかに偏った考え方や感じ方をする可能性があります。ですから、メンタライジング機能の安定のためには、日常生活での睡眠、食事、適度な運動等に配慮し、人としての有機的システム全体の健康度を安定させることが大切になります。
Psychic equivalent modeにもpretend modeにも共通して言えることは、他者が独自の主体性をもった存在として感じられないことです。自分の認識した通りに他人は感じたり考えたりしていると確信するモード(psychic equivalent mode)では、その他者の行為の背後にその人独自のこころがあることが認識されません。また、pretend modeでは、他者に対する認識はその他者との関連を失い、しばしば矛盾する考えが混在し、他者としての像を結ぶことが困難な状態です。いずれの場合も、他者は「モノ」のように感じられ、そのために攻撃等によって傷つけることへの抵抗が小さくなるといわれます。相手の顔が見えないSNSなどインターネット上のやりとりは、このような傾向が容易に強まる性質があるかもしれません。
また、メンタラインジングするためには、メンタライジングしてもらう経験が欠かせません。例えば、強い感情から泣いている子どもが「あなたは、とっても悲しいし、それに怒っている気持ちもあるんだね」とメンタライジングしてもらうことで、「自分は悲しいし、怒ってもいるのだ」と自分をメンタライズすることが可能になります。他者から「自分のこころ」を想像してもらう経験が、「他者のこころ」を想像する能力の基礎になるとされます。大人になってからも、悩みを相談した時に、相談相手から自分の心をメンタライズしてもらうことで自己理解が深まる経験は多くの人が経験しているのではないでしょうか。
メンタライジングは新しい概念ではなく、従来から心理カウンセリングに織り込まれてきた基礎的要素の一つです。ただ、「メンタライジング」として切り出して考察することで、改めて捉え直すことができる側面もあり、特に近年ではアタッチメントとの兼ね合いで語られることが多い概念です。
参考)
- Bateman, A., & Fonagy, P. (2006). Mentalization-based Treatment for Borderline Personality Disorder : a Practical Guide. Oup Oxford.
- Introducing Mentalizing for AMBIT, The AMBIT programme, the Anna Freud National Centre for Children and Families. (2023/11/27 閲覧)