アタッチメントとは

愛着理論は英国の精神科医ジョン・ボウルビーが提唱した理論です。子どもが3歳になるまでは母親が育てるべきだという三歳児神話を聞いたことがあるかもしれませんが、三歳児神話の根拠はこの愛着理論にあると言われます。愛着理論は、ボウルビーが提唱し始めてから50年ほど経ちますが、現在も多くの研究が進められています。

愛着理論の「愛着」は英語の「attachment」です。attachという単語には、「くっつく、付着する」という意味があります。例えば、メールの添付ファイルなどもattachmentですし、心霊現象の憑きものもattachmentです。心理学では、attachmentという英単語に慣習的に「愛着」という日本語を訳語として当てますが、愛着理論の愛着とは 一義的には「近づくこと」に関連しています。この意味を明確にするために、以下では愛着ではなくアタッチメントという用語を使います。

アタッチメント理論の特色の一つは、進化生物学の知見を取り入れていることです。日常生活でよく見られることですが、脅威を感じたり不安を感じたりしたときに、子どもは親のそばに近づきます。自ら近づくことのできない乳児であれば、泣くことで親の関心をひき、親を自分の近くに呼び寄せようとします。このように、子どもは脅威に直面した時に親に近づきますが、これをボウルビーは「アタッチメント行動システム」と呼び、私たち人間が生まれ持っている行動パターンであると提唱しました。このアタッチメント行動システムにより子どもは危険を回避することができ、結果として生存確率が上がると考えたのです。私たちの祖先が生活していた自然環境は様々な捕食動物や脅威であふれており、保護してくれる大人から離れた人間の乳幼児は、数時間はおろか数十分も生き延びることは困難であったと推測されます。ですから、不安が強い時に親に近づこうとする行動は、個人の選択ではなく環境適応の結果であり、私たちに生来備わっている無意識の行動パターンだとボウルビーは主張したのです。

さらに、ボウルビーは、子どもが養育者のそばにいることは、それ自体が重要であることに加え、子どもをなだめて安心させる養育者の存在を意味することも重視するようになります。つまり、アタッチメントは子どもの生命の安全を守る働きをすると同時に、心理的な安心を与える側面があると考えました。

アタッチメント理論はボウルビーが初めて提唱してものですが、アタッチメントに関心を持つ他の研究者たちが理論を精緻化し、それによってボウルビー自身も理論をさらに展開していきました。ですから、現在のアタッチメント理論は、その出発点はボウルビーの研究ですが、その後の多くの研究者の貢献によってさらに豊かな内容になっています。

例えば、アタッチメントのパターンという考え方がありますが、これはアインズワースという研究者が母親と乳児の観察実験によって導き出したものです。アタッチメント行動システムは生来の無意識の行動パターンですから、養育者が愛情溢れる大人である場合はもちろんのこと、たとえ養育者が子どもに暴力をふるう場合でも、気分次第で子どもを頻繁に無視したりする場合でも、子どもは親に近づいて安心を得ようとします。結果として、養育者と子どもの関係のあり方によって、子どものアタッチメントには一定の傾向(パターン)が生じると考えられています。このアタッチメントのパターンは通常大きく4つに分類されます。このパターンが何に影響されて決まるのか、生涯変化することはあるのか、また、世代間連鎖はあるのか、といったテーマは現在も活発に議論されています。アタッチメントのパターンについては、また別の投稿で書こうと思います。

アタッチメントという心理的傾向を、子どもの行動観察や大人の面接などにより実証できることがアタッチメント理論の大きな強みといえます。精神分析家は一人の患者と週に4、5回面接しながら人の深層心理に迫るため、必然的に面接できる患者の数には限度があります。対して、アタッチメント理論は、(臨床家ではない)実験心理学者などが多数のサンプルの観察実験や面接検査によって、文化横断的な時系列の傾向を把握することが可能になります。ですからアタッチメント理論は、従来の深層心理学の理論や臨床経験を、認知科学や生理発達学など実証研究分野へ橋渡しする重要な役割を果たす可能性を持っています。しかし、実はアタッチメント理論は精神分析家からは激しい批判と拒絶にあってきました。なぜなら、精神分析理論では、人と人の関係性というのは欲動を満たす結果として副次的に生まれるに過ぎないと考えてきたからです(例えば、乳児は欲動を充足させるために乳房に吸い付き、その結果として母子の関係が発生する、といったように)。対して、アタッチメント理論は、人間は生まれながらにして関係性を求める生き物だと定義します。ボウルビーは精神分析家でしたが、異端視される立場に甘んじなければなりませんでした。しかし、精神分析理論の発展もあり、最近ではゆっくりと両者の歩み寄りが見られるようになっています。

引き続き、アタッチメント理論について投稿していこうと思います。

(参考)Fonagy, P. (2001). Attachment theory and psychoanalysis. Other Press.(フォナギー, P. 遠藤利彦・北山修(監訳)(2008)『愛着理論と精神分析 誠信書房.