防衛機制(16) 置き換え

防衛機制の置き換え(displacement)は、読んで字の如く、自分の感情を元来の対象に向けずに、違う対象に置き換えて発散することです。なぜなら、元来の対象に対して感情を表現することには不安が生じるため、より安全だと思われる別の対象に対して感情を表出するわけです。教科書的な例としては、職場で上司に怒られた父親が、帰宅後にその鬱積を妻に向かって発散する(例えば、先日の出来事を蒸し返して文句を言う)。妻は、子どもに向かって鬱積を発散する(些細なことで怒る)。子どもは、飼い犬に向けてウサを晴らす。このように、無意識のうちに対象を置き換えて感情を発散することが置き換えで、その感情が怒りの場合、「八つ当たり」にあたります。ちなみに、その感情を自分に向ける場合が「自分自身への向け換え」になります。

しばしばあるのは、パートナーの浮気が発覚した際に、怒りをパートナーに向けるのではなく、パートナーを「騙した」浮気相手に向ける場合です。パートナーに怒りをぶつけることで、パートナーの気持ちが一層離れてしまう不安があるために、無意識のうちに怒りの矛先を浮気相手に置き換えている例です。

置き換えは、人に置き換えられるだけではありません。例えばフェティシズムは、性欲の対象を人からモノに置き換えていると考えられます。より身近な例としては、先日に観た映画での話ですが、主人公が自分のいら立つ感情のやり場に困って、家人が迷惑に感じる程のすごい勢いで家中を大掃除する場面がありましたが、これは行為への置き換えだと捉えられます。

置き換えが恐怖症の原因になっていると考えられる場合もあります。例えば、過干渉な母親への不安を無意識のうちにクモに向け、異様にクモを怖がる女性の例があります。クモから逃れることで母親から逃れられると無意識に感じることが、恐怖症として現れていると考えられます。また、同様の例としては、無意識のうちに橋を渡ることを異界への移動、つまり死を意味していると捉え、死への不安を橋に置き換え、橋を渡ることに恐怖を抱く場合が挙げられます。

繰り返しになりますが、置き換えは、元来の感情の対象が権威を持つなどの理由でその感情を直接ぶつけると危険で不安を呼ぶために、危険でない対象に向けて発散することです。これは社会的にも観察されます。所謂「社会的弱者」「少数者」のグループに対して向けられる理不尽な怒りや圧力は置き換えの場合が多いと考えられます。新型コロナウィルス感染拡大に際しての「自粛警察」を置き換えの視点から理解することも可能でしょう。また、組織で「スケープゴート」的に「社会的弱者」「少数者」に怒りが向けられることもあるでしょう。例えば、同僚が産休に入り、そのために他の同僚の仕事の負荷が増した場合、それは本来は対策を取らない職場のマネジャーの責任ですが、怒りが産休を取得するスタッフに向けられる場合があります。これも置き換えの可能性が考えられます。

参考)
McWilliams, N. (2011). Psychoanalytic diagnosis: Understanding Personality Structure in the Clinical Process. (2nd. ed). New York: Guilford press.