引き続き、マクウィリアムズの著書に従って防衛について見ていこうと思います。今回は「万能的支配力 (omnipotent control)ですが、これを防衛として挙げる論者は少数のようです。ネットで検索すると多少ヒットしますが、それらほぼ全てがマクウィリアムズの著書を引用している印象です。なぜマクウィリアムズが「万能的支配力」を防衛の一種として取り上げたかというと、精神分析によるパーソナリティの見立ての観点から重要な防衛だと整理しているからだと思います。日常生活にも関連する場面があるので、ここでも取り上げることにします。
誕生後まもなくの新生児は、自分と世界が一つのように知覚しているとされます。ですので、外界での出来事も自分が起こしたように感じます。現実では、乳児が空腹で泣くと養育者がミルクを与えるわけですが、内と外の区別がつかない段階の乳児は、「お腹が空いたら (魔法のように)ミルクがでてきた」、つまりミルクが出てきたのは自分の影響力が原因であると解します。オムツが濡れて不快なときには、オムツが交換されます。これも「自分が不快だと思う→オムツが乾く」という風に、自分の望みには魔法のような絶大な影響力があって「願えば叶う」というような万能感(自己肥大感)を持つとされます。成長するにつれて自分と外界の区別ができるようになると、自分の無力さに気づきそれが不安を呼ぶので、今度は養育者を万能だと信じることで安心感を得ようとします。さらに成長すると、養育者でさえ万能ではないという現実に気づき、それを受け入れながら成長することで、自分の影響力には限界があることを認識した大人に成長していきます。
「自分は環境に対して影響を与えることができる」という感覚は、自尊心の重要な側面ですが、それはこの乳児期の万能感に根ざしているとされます。ですから、発達的に適切な時期には幼児的万能感を十分に味わうことが大切だとされ、大人は誰もがこの万能感の面影を心に宿していて、それが自己効力感の源であると解されます。例えば、トランプなどの勝負ごとで、相手の出方やゲームの展開の読み、その勘が当たって勝ちを手にした時の快感は、「願いは叶う」という「万能的支配力」の感覚に近いものです。また「熱望すれば何でも叶う」というのはアメリカ的な価値観ですが、これは常識や多くの人の経験に反するものの非常に肯定的に響き、ここにも万能感の面影が感じられます。
中には、何にも拘束されることなく自らの万能的支配力を実感し、物ごとはその結果だと解釈することに執着する人もいます。そして、現実的な関心や倫理的な関心よりも、自己の万能的支配力を感じることを第一優先にするパーソナリティは精神病質だとされます(サイコパス、反社会性パーソナリティとも呼ばれます)。とはいえ、サイコパスと犯罪性は重なる部分はあるものの、同一ではありません。一般的には、大部分の犯罪者はサイコパスで、その逆もまた真であると誤解されがちですが、実際には、万能的支配力の防衛に突き動かされている人の多くは、法を破ることはそれ程ありません。そして、不安を回避し自己肯定感を維持するために意識的にごまかしや操作をします。その例として、マクウィリアムズは 心理学者による小説「Snakes in suits」を挙げています。邦訳版は『社内の「知的確信犯」を探し出せ』という題名で出版されています。日米ともにかなり高評価ですが、残念ながら邦訳版は既に絶版です。
「他人を出し抜け」というのが万能的支配力によって突き動かされるパーソナリティの持ち主の主要な関心ごとです。自分の影響力を実現するためなら他のことは二の次にする人々で、刺激や危険を好み、企てを必要とするような企業や組織の中に普通に存在するといわれます。ビジネスに限らず、政治でも、またカルト集団や伝道者としても、自らの力を巧みに使える場所であればどこでも活躍しているといわれます。
参考)
McWilliams, N. (2011). Psychoanalytic diagnosis: Understanding Personality Structure in the Clinical Process. (2nd. ed). New York: Guilford press.