偽りの平穏な家庭

この投稿のテーマは「偽相互性」ですが、意味がわかりにくいと考え、投稿のタイトルは「偽りの平穏な家庭」としました。ミステリー番組のような響きがあるかもしれませんが、それは偽相互性の一面といえます。偽相互性の原語は英語の「psudo-mutuality」の訳語です。psudoが「偽の」を、 mutualityが「相互性」を意味します。

偽相互性という精神分析的な概念が提唱された当時(1950-60年代)は、統合失調症の原因を家族内の関係性に求める動きが活発であった時期です。以前に紹介したミスティフィケーションやダブルバインドも、その動きの中で提唱、注目された概念です。尚、現在では、統合失調症の主原因が家族関係にあるとする考え方は退けられています。この点に留意した上で、偽相互性について紹介します。

人が健全に成長していくには、相互的な人間関係が重要です。相互的な関係というのは、互いに相手を独自の主体性を持った人間とみなしている関係です。単純化すれば、相手の発言を受け止め、相手の感情を尊重し、同時に自分の考えや感情も尊重して相手に伝達していき、その上でバランスを取ろうと志向する関係だといえます。結果として、相互理解が深まる場合もあれば、考えの相違が表面化して話し合いが必要になる場合もあるかもしれませんし、場合によっては仲違いする可能性もあるかもしれません。言い換えると、相互的な人間関係は柔軟である一方、どのように展開していくかコントロールが困難で、先行きが見えにくい性質を持ちます。

他方で、偽相互性とは、家族成員間の交流において各自の主体性よりも家族全体の安定性が優先され、表面的に強く調和している関係を指します。一見すると「物語に出てくるような理想の家族」のように見える場合も少なくありませんが、常に平穏であるということは柔軟性に欠けるということでもあり、実際は、表面的な平穏を保つために、家族のメンバー各々が自分の感情や主体性を抑圧しながら役割を演じているため、強い葛藤やフラストレーションを意識的、無意識的に感じている可能性が指摘されています。そのような家族関係の中では、家族の安定を乱すような考えや感情を表明するメンバーは「わがまま」だと批判されたり、そもそも発言自体が遮られたり巧みに無視されて何の反応も得られない、ということが度重なり、次第に誰もが独自性(相違点)を明確に表現にせず、曖昧なままに「調和」が保たれます。そのような家庭を訪れた人の中は、「和やかではあるが、なんとなく嘘くさい」といった感想を抱く人もいるかもしません。

人が成長の過程で、自分が自分であるという感覚を得ることは必須です。この感覚は自己同一性と呼ばれることがあります。自分の考え、感覚、記憶、信念等が自分のものであるという感覚と、そうした自分は今後も一貫して存在していくであろうという継続性への信頼が自己同一性を構成します。幼少期から偽相互的な家族関係の中で育った子どもは、この「自分は自分だ」という感覚が育ちにくい、もしくは歪められやすいといわれます。 なぜなら、自分の考えや感じ方が「家族の安定をみだす」と判断されると、発言内容が無視されたり歪曲されたりして混乱するため、自分の認知や記憶に対して自信を失っていくからです。また、自分よりも家族のバランスの維持の優先順位が高いので、家族から期待された役割を果たすことに意識が向けられ、「自分は本当は何を考えているのか」「何がしたいのか」などを感じることが後回しになったり、それが家族の調和と両立しない時には自分の感情や考えを抑圧することも起きるからです。

偽相互性の家族の特徴は、表面的な調和が維持されるために問題が見えにくいことです。見えない問題は解決されることがありません。そして、そのような家族システムの中で成長すると、意識上では何が問題かを認識できなくなる可能性が大きくなります。偽相互的家族の中で生きることは、自己が混乱し苦しく辛いことではあるものの、それを言語化することは難しく、まして家族の中で相談することはできません。かつては、この厳格な役割演技を強いる偽相互性の家族関係から脱するために子どもは統合失調症を発症すると主張する研究者たちがいたのです。

偽相互的な家族関係について書いてきましたが、表面上は穏やかに見える家族関係に知らず知らずに取り込まれ身動きできなくなってしまう息苦しさや不健全さは、少し極端すぎて現実味が薄く感じられるかもしれません。でも、実は日常生活で誰もが程度の差はあれ経験していると言えるかもしれません。

相互的な人間関係では、互いに相手の主体性を尊重すると先に書きましたが、これは別の言い方をすれば、相手をありのまま受け入れること、つまり、相手を「こうだ」と決めつけず、また、「こうあるべきだ」と支配もしないことです。そのためには、(中立的な意味で)相手にあまり期待しないでいること、そして相手のダメだなと思うところにお互いに目をつぶることを心がけることが大切になりそうです。

皆さんの周りの人間関係は、相互的でしょうか。

参考)

1) Mystification, Confusion, and Conflict ,Laing, R.D. From Intensive family therapy: theoretical and practical aspects, Boszormenyi-Nagy, Ivan & Framo, James L. (eds), 1965.
2)浩二鈴木. (1971). 精神病患者の家族研究ー家族ロールシャッハ・テストによる研究. 精神衛生研究, 20, 1–40.
3)Kyoto-U OCW(京都大学オープンコースウェア).(2022, March 28).京都大学 2021年度 退職教員最終講義「臨床において『他者』と出会う事」岡野 憲一郎 教育学研究科 教授 2022年3月13日 オンライン開催 [Video]. YouTube.https://ocw.kyoto-u.ac.jp/course/1070/