アタッチメント・トラウマとは、アタッチメント対象(多くの場合、親)との関係におけるトラウマのことを指します。
トラウマは、人を極度のストレスに晒す出来事のことですが、ある出来事が人に与えるストレスを数量化することは不可能なため、ある出来事がトラウマであるか否かを判断する明確な基準はありません。以下では、「長期間にわたり否定的影響を与える出来事」をトラウマと捉えることにします。
トラウマを考えるときに、少なくとも2つの視点があります。
一つは回数です。つまり、トラウマが一回限りの出来事か、それとも何度も繰り返されたかということです。単回のトラウマとは、交通事故やレイプなどがその例です。他方で、複数回のトラウマとは、長期に渡り繰り返される体験であり、例えば、戦場での戦闘活動、捕虜生活、DV(ドメスティック・バイオレンス)、いじめ、などがあります。単回のトラウマが人生を左右するような深刻な影響を与えることもありますが、一般的に、何度も繰り返し経験したトラウマによる影響の方がより複雑で深刻であるとされます。
二つ目は原因です。トラウマは、その原因に人が関与しているか否か、また人が関与している場合、その人がどれだけ身近な人であるか、によってその影響が異なるとされます。人が関与していないトラウマ(例えば、自然災害)と人が関与しているトラウマ(例えば、殺人場面の目撃)では、後者の方がトラウマの影響が深刻になると考えられています。さらに、トラウマの原因が人のケースの中でも、アタッチメント対象である養育者(多くの場合、親)が原因である場合、その影響は最も深刻になるとされます。
子どもは、養育者との関係によって心理的安全を保とうとします。例えば、不安や恐怖を感じると養育者に近づき、安心を得ようとするように。しかし、その養育者が虐待などのトラウマの原因になるとき、子どもは極度の不安と恐れ、そして同時に心理的な孤立感(見捨てられた気持ち)を感じて心理的な行き場をなくします。本来であれば励まし慰めてくれるはずの大人から傷付けられ見捨てられるような辛い経験が繰り返されるとき、子どものこころは深く傷つきます。子どもは、こころの置き場を失くし、心理的に自分が存在しなくなったよう(invisible)に感じます。
トラウマの影響を受けている人にはトラウマ反応が見られます。これは、「10対90のルール」で説明されることがあります。「10」や「90」は感情の反応度合いを示す数値です。過去のトラウマと何らかの共通要素のある出来事が起きたときに、目の前の出来事には「10」で反応しているに過ぎないのですが、過去の出来事(トラウマ)に反応する感情が同時に「90」で起きてくるため、全体として「100」の感情的反応が起きる現象がトラウマ反応です。「10」程度の感情的反応に相等しい出来事があった時、「10」の反応を示すことに対しては本人も周囲の人も注意を払いません。自然なことだからです。しかし、「10」の反応が適当と思われる場面で、突如「100」の感情的反応が起きるトラウマ反応では、本人も周囲の人も「そんなに大きな反応をする状況ではないのに、なぜ」と苦痛に感じたり驚いたりするでしょう。例えば、登山をしていて急に霧が濃くなり視界が遮られた状況では不安を感じることは自然かもしれませんが、過去に火事をトラウマとして経験した人は、周囲には不自然なほどに激しく恐怖や不安を訴えることが考えられます。霧と火事に共通する「視界が煙のようなもので遮られる」という要素がトラウマ反応の引き金(トリガー)になったと考えられる例です。
同様に、アタッチメント・トラウマを経験した人は、例えば、友人との距離が近づいてきたと思うと、大きく反応することがあります。他者との心理的距離が縮まっていくことには、誰でもある程度の期待や不安などを感じることがありますが、「関係の近い人に感情的に依存すると深く傷付けられる」という過去の経験(アタッチメント・トラウマ)への感情的反応が突如「90」のインパクトをもって、例えば、いきなりSNS上で相手をブロックしたり、あからさまに相手に対して不自然な態度を取ったり、といった形で現れることがあります。
アタッチメントは心理的安全の基盤であり、癒しの源です。アタッチメントは、精神的な安定と健康のために成人後も終生にわたり必要なものだと考えられています。アタッチメント・トラウマはこの癒しの機会を阻みます。人にこころを開くことは危険だと無意識に学習しているためです。心理的な癒しを遠ざけることで、アタッチメント・トラウマは不安な精神状態を継続化させることになります。
幼少期の経験が成人後の人間関係に影響を及ぼすことは仕方ないにしても、大人になってそれに気づいたら改善したらいいのではないか、と思われるかもしれません。しかし、元来アタッチメントは「生存率を上げるため」の生物的なプログラムです。アタッチメント対象との関係で、安心を得る経験が得られないばかりか攻撃され傷付けられる経験をした人にとって、人に近づくことは、生命を危機に晒すにも等しいことです。幼少期に繰り返しの経験の中で無意識にそう学習せざるを得なかったのです。他者と近しい関係を築くことや他者に気持ちを開くことは、大袈裟でなく高層ビルから飛び降りるくらいに生命の危機を(無意識に)感じざるを得ない行為なのです。私たちが、駅のプラットフォームの縁ぎりぎりを歩くことを無意識に避けるように、アタッチメント・トラウマを持つ人は、他者との親しい関係を無意識に避ける傾向があるのです。
それでは、アタッチメント・トラウマを癒すためには、どうしたら良いのでしょうか。まずは、睡眠、食事、運動に気を配り、健康的な生活を送ることです。なぜなら、身体が健康なとき、心理的な回復力も高まるからです。そして、日々の生活環境でのストレスを可能な限り減らす工夫をしてください。また、ストレスへの対処方法を身につけることも有益です。例えばマインドフルネスはストレス・マネジメントに有効だとされています。さらに、安心なアタッチメント関係を経験をするという意味で、サイコセラピー(心理カウンセリング)を受けることも重要です。セラピストとの関係の中で安心できる人間関係を経験し「安全基地(secure base)」を築くことが、日常生活における人間関係にも少しずつ良い影響を与えていくと期待されます。
関連して、アタッチメント理論の提唱者であるボウルビーの著書「安全基地」から以下を引用します(粗訳は筆者によるもの)。
「サイコセラピストの役割は、患者に安全基地を提供することであり、その安全基地から、患者は、不幸で辛かった過去そして現在の人生のさまざまな側面を探求することが可能になります。多くの場合、それらについて考えたり再検討したりすることは、支持や励まし、同情、そして時に助言をくれる信頼する同行者なしには、困難もしくは、ほぼ不可能であると患者は感じるのです。」
アタッチメント・トラウマの影響は人間関係だけに留まるものではありません。感情調整が苦手であったり、自分に対する否定的イメージが強かったりといった傾向があるといわれています。これらについては、また別の機会に書くかもしれません。
(参考)Jon G. Allen, PhD, on Trauma in Attachment Relationships (Youtube)